8. 散歩

ここ何日か振り続けていた雨が夕方になってようやく止んだ

 

身分別に話し合いをしている三部会の警備は多忙を極め

私たちは今日は東に、明日は西にと奔走していた

 

この三部会を意義のあるものにするために奔走している私たちが

まるで貴族側の味方をしているかように

一部の市民からは白い目で見られる

 

警備をしている衛兵隊も一般市民なのに…だ

彼らのやりきれない思いが私にも伝わる

 

ことにアランの上層部へ対する苛立ちは相当のものだった

 

このままでは隊の中で反乱がおきるかも知れない

事実、別の部隊では上司の言うことに逆らい

自ら義勇軍を作った者もいると聞いた

 

ただ、私が感情に任せて何か動きを見せるのは時期尚早だ

私が下手に動けば彼らの身の安全も保障できない

連帯責任と称して彼らに何らかの罰が下るのは必至だ

 

コンコン

 

おまえがペンで机を叩く

 

「ボーっとして」

「大丈夫か?」

 

「…あぁ、ちょっと考え事をしていた…」

 

「そうか」

「俺は終わったけど…おまえは?」

 

「私ももう終わる」

 

最後の書類にサインをして席を立つ

 

「雨が…止んだな」

 

「あぁ、いよいよ夏が来るな」

 

「私は夏が好きだ…」

夏の風はおまえの香りに似ている…

 

「そうだな、俺も好きだ」

おまえから香りたつバラの香りを強く感じられる夏…

 

「さあ、帰ろう」

 

屋敷へ戻る馬車の中で

私はまた彼らのことを考えていた

 

このフランスのために、パリの街を守るために

何の見返りも求めずに

雨の日も、風の日も毎日懸命に警備をする

 

それを本当に大切に思っている市民から認めてもらえないジレンマ

 

…どうしたら分かってもらえるのか…

 

思わず深いため息が漏れる

 

「どうした?」

気づくとおまえが私の顔を覗き込む

 

「あぁ…うん…」

答えにならない返事をして

私は馬車の窓に肘を置き頬杖をつく

 

流れていく外の景色

おまえはそれ以上何も聞いてこない

 

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窓に映るおまえの顔は

いつもの冷静さを保っている

 

おまえのぎゅっと握り閉めた左手を見つめる

握られた左手の人差し指の先が親指の爪を弾く

 

おまえが考え事をしているときの癖

 

最近はあいつらの事を考えているときに

必ずこの癖が出る

 

警備をする側と市民との隔たりが気にかかるのだろう

ここ最近のアランの苛立ち振りを見ていれば当然だ

 

だが、衛兵隊の置かれている状況を考えれば

隔たりが出てしまうのも無理はない

なぜなら衛兵隊の実行指揮官はブイエ将軍なのだから

 

彼は生粋の貴族だ

ジャルジェ将軍とはまた違う種類の…

 

女であるおまえの指導力やカリスマ性を

疎ましく思うあの人の支配下にいる限り

おまえはこうしてジレンマを抱えていくほかにない

 

…あまり思い悩むな…

くるべき時がくればみんな分かってくれる

 

俺は外を見つめるおまえを正面から見つめる

 

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夕食を済ませたおまえの部屋に

俺はいつものようにワインを持っていく

 

少しだけ開けられたドアは

何も言わずに入ってこいのサイン

 

静かにドアを開け部屋に入る

 

おまえは窓辺に腰掛け

右の膝を抱える

 

俺に気づくと顔を上げて言う

 

「来たか…」

 

「何だ、相当疲れているみたいだな」

「そんな顔をしていたらせっかくの美人が台無しだ」

 

ふんっ…おまえは鼻で笑って窓の外を見る

 

「今年の雨は長かったな」

「日照不足で農作物がちゃんと育つか…」

「贅沢せずともせめて彼らの口に入るものだけでも育つといいのだが」

「それでなくても重い税金を払っているというのに…」

 

まったく、悩みが尽きないな…

 

俺は持ってきたワインとグラスをテーブルに置き

窓辺にいるおまえに歩み寄る

 

窓の外を見たままのおまえはガラス越しに俺の顔を見る

 

「心配性だと思っているのだろう」

「…私がここでどれだけ心配してもどうにもならないことは分かっている」

ガラスに映る俺に向かって言う

 

俺は無言でおまえの頭に右手を乗せおまえの髪を撫でる

 

「庭を散歩しようか」

「せっかく雨も上がったことだし」

 

おまえは振り返って頷く

 

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柔らかいチップの上を歩く

 

ランタンの小さな明かりに

バラの葉に残る雨粒が照らされ揺らめく

 

おまえはバラの花の香りを一つ一つ確かめる

すこし前を歩く俺と離れそうで離れない距離を保ちながら

ゆっくりと歩みを進める

 

大株になったラベンダーが並ぶ小道に差し掛かる

「…母上の香りだ…」

おまえは鼻で大きく息をする

 

「…母上に抱かれている気分だ…」

 

俺は立ち止まっておまえを見つめる

おまえは微笑んで俺を見つめる

 

「さあ」

俺はおまえに左手を差し出す

おまえの細く小さく柔らかい右手が俺の手を掴む

 

手を繋ぎながら俺たちはラベンダーの中をゆっくりと歩く

 

「…ジレンマについて考えていたのだ」

「良かれと思ってやっていることも、実はそう思われていないこととか」

「努力が実らない中でどれだけモチベーションを保つことができるのだろうかとか」

「そんな形のない不安定なものの事を取り留めもなく考えていた」

 

「そして、勝手に悩んで勝手にさ迷っていた…」

 

「うん」

 

「だからといって今、私が思っていることを素直に行動に移してしまっては」

「迷惑を被る人たちがいることも十分分かっているつもりだ」

 

「うん」

 

「で、結局またジレンマについて考える」

 

「…堂々巡りだな」

 

俺は足を止め、おまえに振り返る

右手に持っていたランタンを足元に置き

その手でおまえの左手を握る

 

「…なぁ、俺たちはこの国の未だかつてないほどの変革期に身を置いている」

「この先、この国がどうなるかなんて誰にも分からない」

「ただ、一つ言えることは今までとは全く違う国に生まれ変わろうとしているということだけだ」

 

「この国がどうやって生まれ変わるのかその方法はまだ誰にも分からない」

「…分からないけれど、その日その時のために俺たちは信念を持って生きる」

 

「…そんな考えじゃだめかな?」

 

俺の言葉一つ一つを聞き逃すことのないように

真剣な眼差しで見つめるおまえが口を開く

 

「私は誰も裏切りたくはないのだ」

 

王室も…家族も…衛兵隊のみんなも…

そして、この国を支えて生きている国民も…

 

「それは違う」

「裏切りじゃない」

「それはおまえ自身の信念なのだから」

 

「そして、おまえがその時、その信念を貫くのであれば」

「俺もそれに従う」

「衛兵隊のみんなもそう思っているはずだよ」

 

おまえの目が涙で潤む

 

「来い、好きなだけ泣くんだ」

 

繋いでいる両手を引き寄せ、小刻みに震える背中を抱きしめる

おまえのこの小さな背中に背負っているものはあまりにも重くて

こうして時々吐き出さないと

おまえはその重みに潰されてしまうのかもしれない

 

「一人で悩まないでちゃんと話せ」

おまえは俺の胸の中で嗚咽を漏らしながら頷く

 

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ラベンダーの香りが

母上に抱かれているような気分にさせ、つい甘え心が出る

 

繋いだおまえの手が思ったよりも大きくて

私の手をすっぽりと包み込んでしまったことに

妙な安心感と依存心が生まれる

 

取り留めのない、答えが出ないことも分かっている

今日一日頭の中から離れなかった思いを口にする

 

私は私の思うように生きてよいのだ

おまえの一言一言が雁字搦めになった私の心を解き放っていく

 

信念…

 

貫いても良いのか…

本当に正しいかどうかは分からない

でも、おまえは一緒に歩んでくれるという

そして、衛兵隊のみんなも…

 

おまえの優しさに触れ

その嬉しさと安堵感から思わず涙が溢れる

…私はこんなにも心が弱っていたのだ

 

涙がひくまでおまえは私を抱きしめてくれていた

 

「さあ、部屋に戻ってワインを飲もう」

 

そして私たちはまた自然と手を繋ぎ歩き始める

絡めた指と指の温かさを感じながら

 

私にはもう何の迷いもなかった

ただこの信念を貫いて生きていけばよいのだと

 

そうして、おまえと共に生きていけばいいのだと…

おまえの持つ小さい明かりを頼りに私たちは部屋へと戻る