9. 薔薇

外から戻る私たちを部屋で迎えてくれたのは

ラベンダーの花が浮かぶ温かいワインだった

 

「奥様からでございます」

「夜露に濡れたお身体では眠りも浅くなりますゆえ」

「お身体を温めてくださいとのことでございます」

 

「母上が…?」

 

私たちの様子をどこからか見ていたのだろうか

…気づかなかった…

 

この屋敷の中で、あの夜の騒動を知らないものはいない

わたしとおまえのこともみんな薄々気付いているようだったが

余計なことは言わず、ただ静かに見守ってくれている

 

ふたつ用意されたホットワインを見つめ

私は母上に感謝した

 

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あなたと行ったロワールの楽しかった思い出を

刺繍に残す

 

どこまでも続く青い空

ぽこぽこと浮かんでは消えていく羊雲

深い緑の草原とブドウ畑

 

そして…隣で眠るあなたの寝顔

どれだけ美しく成長しても

やっぱり子供のころから変わらないあどけない寝顔

 

私は忘れないように針を刺す

 

忙しいあなたは私のために

せっかくの休暇をロワールへの旅に費やしてくれた

そして、あの子も一緒に

 

…母はそんなに鈍感ではないのですよ

 

そう…あなたが少女から大人の女性に変わっていくさまを

あの子は眩しそうに見つめていました

 

そんなあの子の儚い思いが私に伝わり

側で見ていては切なく思ったこともありました

 

「身分が違う」

 

若かりし頃、私がお父様への愛を確信しても結婚へと踏み切れなかったのは

この言葉でした

 

大貴族の当主である彼と片田舎の貧しい貴族の娘

同じ貴族であっても国王陛下から結婚の許可はすぐには頂けませんでした

 

この結婚を認めてもらえなければ

この家も、身分も、全てをも捨てて良いと言って下さったのは

他でもないあなたのお父様だったのですよ

 

ああ見えてもあなた達の気持ちは

特に、あの子のあなたに対する思いは

お父様が一番良く理解しているのではと思うのです

 

あの夜以来、お父様はあなたたちのことを

言葉には出さなくても許しているように思えるのは

私だけでなく、この屋敷にいる全ての人が感じていることでしょう

 

少し開けておいた窓から爽やかな風が入る

私は手を休め、窓から外を眺める

 

バラ園に動く小さい明かりが目に入る

 

「誰かしら…」

 

私は部屋の明かりを消してまた外を見る

 

ふたつ寄り添うように動く人影

あなたの金色の髪が暗闇でも輝いているのが分かる

 

あなたとあの子ね…

 

毎日を忙しく送っているあなたたちの安らぎの時間を

私は遠くから見つめていた

 

ふたつの影が重なる…愛し合う美しい時間

私は邪魔をしないようにそっと窓から離れた

 

女官を呼ぶ

 

「温かいワインをふたつ、ラベンダーを入れて持って行ってくれるかしら」

「夜露に濡れた身体では眠りも浅くなりますから身体を温めるように」

 

私の傍に来た女官が

窓の外を見つめながら微笑む

 

「はい、奥様」

 

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朝、目覚めた私の部屋に

女官がバラを持って現れる

 

朝露に濡れた8本のベビーピンクのバラ

 

「昨晩のワインのお礼とのことです」

 

「まぁ…」

 

「奥様、この8本のピンクのバラには意味があるそうでございます」

「まず、このバラの色には<感謝>という意味が」

「そして、8本は<あなたの思いやりや励ましに感謝します>という意味がございます」

 

あなたを男として育ててきた特殊な環境下で

私とあなたは姉上たちとは少し違う親子関係を築いてきました

 

お嫁に行くまでとあれこれ教えては世話を焼くこともなく

いつもお父様と剣や銃の練習をしている美しい我が子を私は遠くから見守るしかなかった

 

でも、あなたは愛を知って

姉妹の中で誰よりも美しい心を持ち、女性らしく成長した

 

馬車の音が聞こえる

あなたが仕度を済ませ出かける様子が伝わる

 

私は窓を開けベランダに身を乗り出す

 

あなたが贈ってくれたバラを手に持ち

愛おしいあなたの名前を呼ぶ

 

私の呼ぶ声に気付いたあなたは

振り返り見上げる

 

朝日に輝くあなたの白い頬と金色の髪

その横には逞しくあなたを守るあの子がいる

 

笑顔で手を振る

 

私も、あなた達も…