1-4. 蔵

左手を首から背中に回しおまえを包み込む

右手でおまえの金の糸のようなやわらかい髪をなでる

 

俺の胸に埋もれていたおまえは顔をあげて言う

 

「何か…飲むものを…」

 

うん…用意するよ」

 

暗闇の中、手探りで着ていたシャツを探す

 

「おまえの飲みたいものでいい…」

 

お…珍しい、めったにないオーダーだ

 

いつもなら何も言わず

おまえの体調や雰囲気を見て俺が選んで持ってきたものを

文句も言わずに無条件で飲むくせに

 

「かしこまりました」

 

そういって

俺はおまえの額に唇をおく

 

「すぐに戻るから少し寝ていろ」

 

明日のこともある…

 

小さなランタンを持って静かに部屋を出る

もちろん、誰も起きていない時間

俺はそっと地下のセラーへ向かう

 

 

暫くすると…背後に感じる気配

足を止めてそっと振り向く

 

 

「っわっ!」

「だっ!!!!!」

 

実に…おまえは…

 

俺の後ろを忍び足でついてきたおまえは

ベッドシーツをぐるぐる巻きにしただけの

ありえない格好でそこに立っている

 

「…ばかっ!誰かに見られたらどうするんだ」

小声でおまえを叱る

 

ケタケタと笑いながらおまえが言う

「頭がおかしくなったといえ」

 

「んなこと言えるか」

 

おまえはまた笑う

 

…好奇心の塊だった子供のころみたい

 

夕暮れになると

将軍が部下を連れて帰宅する

 

大人達がほろ酔い気分で

どこそこの娼婦がなんとか伯爵の妾になって

うんぬんかんぬんと楽しそうに下世話な話をしている

 

「ちっ…何が楽しいんだか」

おまえはそういう男の世界を嫌っていた

 

でも、いつも下世話な話の傍らにある

ワインとう媚薬には俺もおまえも興味津々だった

 

「おい、わたしたちも1本拝借といこう」

 

赤い媚薬の秘密が知りたくて

セラーに忍び込んだあの日

 

今、手にしているような

小さいランタンを右手に持って

左手でおまえの右手をぎゅっと握る

 

暗くて狭くて少し寒い階段を降りると

繋いだおまえの手に力が入る

 

「…こわい?」

「怖かったら部屋に戻って待っててもいいよ」

俺はおまえのことが少し心配になって聞く

 

怖いわけない

だって、おまえと一緒だから」

 

そうして俺たちは少しの勇気を振り絞っただけで

なんなく赤い媚薬を手にした

 

その後、俺の部屋で秘密の祝杯をあげ

大人の下世話な話とさほど変わらない幼稚な世間話で盛り上がり

 

ワインを1本飲みきるころには二人ともベロベロになって

一緒のベッドに入り士官学校に二人そろって遅刻するという醜態を招いた

 

「…あの時のばあやの顔が…」

とおまえは思い出し笑う

 

「首が飛ばなくて良かったって、おばあちゃんは今でも時々話すよ」

俺が言う

 

「私は、ばあやにこっぴどく怒られているおまえの首のほうが心配だった」

「おまえを殺しかねない雰囲気だったからな」

 

「はははそうだったな」

「何しろ、おまえが初めて口にしたワインが…」

「まさかの使用人用のワインだって知ったときのおばあちゃんの狼狽っぷりが今でも忘れられないよ」

「でも、そのお陰で俺はワインの勉強をさせてもらえたけどな」

 

「お嬢様にあんなワインを二度と飲ませるんじゃないよ!っておばあちゃんの鶴の一声でね」

 

「ふふふあの二日酔いも無駄ではなかったな」

 

地下に向かう重い扉を開ける

 

階段を下りる前に振り向いて左手を差し出す

おまえは右手をそっと添える

 

もう、子供の頃のように…ぎゅっと繋ぐことはないけれど…

 

「足元、気をつけろよ」

「ん

 

シーツのすそを踏まないように

おまえはゆっくりと降りる

 

その先の小さな木の扉を開ければ

意外と奥行きのあるセラーに到着だ

 

入ってすぐ

左手には例の使用人用の軽く口当たりの良いワインが並んでいる

 

あの幼かった頃は暗くて冷ややかな空気が流れるこのセラーの奥にまで

入っていく勇気がなかったのだ

 

手っ取り早く持っていけるワインが

それだったという訳だ

 

すこし進んで右手に客人用、そして将軍御用達のワイン

 

左手にはブランデーをねかせるオークの樽

 

そして右手奥には

おまえ専用のワイン棚

 

「…どれにしようか?」

 

そもそも、その殆どを俺が選んで置いたものだが

なかなかの種類に自らが迷う

 

「…寒いな」

ふとおまえがつぶやく

 

「ちゃんと服を着ないでくるからだ」

 

触れた腕が冷たい

 

細い身体に巻きついているだけのシーツの

もてあましている部分を引き上げて

おまえの肩を温める

 

急いで部屋に戻ろう

 

それでなくても

ここ暫くおまえの体調はあまり良くない

 

長雨に打たれたのが悪かったのか

突然咳き込んだり、顔色も悪い

 

「夏風邪は長引くぞ」

 

「…ん…」

 

ふと、目に留まった

棚の左上に置かれたワインを手に取る

 

1787年 ロワール産…」

「ソーヴィニヨン・フラン種  ロワール地方 ビュエ村」

 

レモンのようにフレッシュで

アカシアとグリーングラスの香り漂う白

 

聞き覚えのないワイナリーだが

ロワールの白なら間違いはないだろう

 

渇いた喉を潤すのには白がいい

しかし、見覚えのないワインだった

 

「早く戻ろう」

おまえを促して足早に部屋に戻る

 

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おまえの部屋に戻って早速

俺はワインのコルクをあける

 

改めてボトルを眺める

 

「…やっぱり記憶にないな…」

 

ロワールならだんな様の管理する近衛の部隊がある

だんな様からおまえへのお土産かも知れない

 

俺がワインを用意する間、おまえは大きな窓の桟にもたれて佇んでいた

 

少し開けた窓から庭に自生している白いゼフィランサスの香りが入り込む

 

グラスにワインを注ぎながら

ゼフィランサスの香りにつられて俺はふと顔をあげる

 

薄暗い部屋で、おまえがいるそこだけが青白い月明かりに照らされ

 

白く細い身体を包むシーツが風になびいてドレスのすそのように踊る

あの日のドレス姿を思い出させた

 

あの日、おまえ

 

忘れるために諦めるために断ち切るために思いを整理するために

一度だけ着たドレス

 

本当に美しかった

でも、今のおまえにはかなわない

 

「お気に召しますかな?」

グラスを手渡す

 

おまえは黙って左手でグラスを受け取り

右手で俺の左手を掴むと

しなやかに俺の胸に背中を押し付け

もたれかかる

 

お前の重みを抱いたまま窓を背にして佇む

 

「…今日は夜風が心地よい」

「そうだな」

何となく同調しながら考える

 

…セラーの冷気に当たった身体にはちょうど良い風なのか

しかし、そんなに暖かい風でもないだろうに…

 

「…おまえ…熱があるのか?」

 

俺の言葉を遮るようにおまえは言う

 

「このワインは…おまえのために用意した

「この日の為に特別に用意したワインだ」

 

旦那様のお土産ではなかったのか…

 

「そうだったのか」

「どうりで見覚えのないワインだと…」

 

「ありがとううれしいよ」

 

本当に…うれしい贈り物だ…

 

「…お前の香りがするワインなのだよ…」

「アカシアとグリーングラスの香り…」

おまえはそう言うと振り返って俺を見つめる

 

「…そうか」

おまえに唇を寄せる

 

「ずっと一緒にいる」

おまえはそう言ってまた唇を重ねる…