1-5. 旅~De la Loire~

自ら衛兵隊に異動してから初めての長期休暇だ

 

軍隊で統制されてしかるべきはずの規律も躾も服務も

乱れ乱れて何もかもなっていない衛兵隊員を教育することで手一杯だった私に

更に追い討ちを掛けるかのような事案がここ何ヶ月かの短い期間数多く発生した

 

先ず…

 

不意に沸いて出た結婚話

 

…そうだろう…

 

この家の将来を考え、跡継ぎを心配した父上が乗り気になるのも無理はない

こんな私を嫁にもらおうなどと肝の据わった男はそういないし

彼の家柄も含め、決して悪い話ではないことは私も分かっている

 

だが、相手が誰であろうと結婚するつもりは更々ない

しかも、今更女として生きろ、子を産めなどと

まるで私の人生をなかったことにするかのような父上の発言に

私の心は怒りと戸惑い、そして哀しみに支配されていた

 

この無駄な結婚話をいかにしてなかったことにするか

そんなことばかりを考えて日々奔走していた私に

何を血迷ったか先走ったおまえ

私に飲ませるワインに一服盛ったかも知れないと疑った時は

さすがに私も無意識に母上を求めた

 

父上にとって私という人間が何だったのか…

 

私は父上の期待を一心に背負ってただひたすらに生きてきた

そんな自分の価値を今更全否定されたような気がしていた

そして、追い討ちをかけるようなおまえの行動が私には全く理解できなかった

 

「わが子の身を心配しないではいられない」

「わたしたちをおろかだと…わらいますか…」

 

私の頬を包み涙を拭う母上の手の温かさが

そして、その言葉が優しく私の心を包み込む

 

この降って湧いて出た結婚話も

私を愛しているからこそ、大切に思うからこそ傍におきたい

私の性格も何もかも一番良く理解している父上なりの愛情表現だったのだ

 

私は母上に諭され、父上と母上の娘として生まれてきたことに感謝した

 

それから、おまえが毒を盛って私と共に果てようとしたことを

私は深く考えた

 

きっと、おまえの考えはこうだ…

 

私が特定の男のものになれば、おまえの支えは必要なくなる

私がおまえ以外の男の胸の中で幸せになることを望まないおまえは

私を道連れにし、自分の存在を消そうとした

 

…なぜだ…

 

他にも方法はあるはずなのに

何故におまえは共に死ぬことを選んだのだ

 

結果、その瞬間に考え直したおまえが阻止してくれたおかげで

私はそのワインを口にすることはなかったけれど

私にはおまえを理解することができなかった

 

…いや…

 

おまえの気持ちは理解できたとしても

おまえの気持ちに報いることはできないと思っていた

 

あの日までは…

 

あの日パリの留守部隊まで行く道中

私の判断ミスで民衆に襲われ

まえが重傷を負い、死んでしまうかも知れないと思ったとき

 

…正直、これが一番効いた…

 

私はその時、助けてくれた旧友に礼を言うこともすっかり忘れて

屋敷に辿り着くまでおまえちゃんと息をしているのか、生きているのか

ただそれだけが心配で…

 

屋敷に戻ってからもおまえが目を覚ましてくれるのをひたすら祈った

そして、おまえの意識が戻り、無事を確認できたときの喜びは想像以上だった

 

そう…自分でも驚くほどに…

 

そして私はこのとき初めておまえを永遠に失った時のことを考えた

 

7歳から一緒にいるおまえの手助けがあって私はこうしてここにいる

おまえがいなくなってしまった後の私に一体何ができるのだろう

おまえがいなくなってしまった後の私が何の役にも立たないように

私に毒を盛って一緒に逝こうとしたおまえもまた

私がいなければ生きていく意味がなかったのか

 

おまえがいなければ私は私として生きていくことはできない

私がいなければおまえはおまえとして生きる意味を見出せない

 

これが愛なのかと問われても

正直…良く分からない

ただ、お互いが互いを必要としている…それだけは確かだった…

 

私はそんな想いを持ったまま彼に正直に気持ちを伝えた

おまえが不幸せになるなら私も不幸せな人間になってしまうと…

そして、その言葉に納得したように「身をひくことがただひとつの愛の証…」だと言い残して

去っていく彼の背中を私は静かに見送った

 

私はその足で父上へ直談判した

生まれて初めて娘として正直な気持ちをぶつけた私にもはや迷いはなかった

 

それもこれも全て母上のお陰だ…

 

私は父上と母上の愛の深さを実感したのと同時に

母上からの愛を欲していた自分に気付かされた

 

私は、長い間自分のことで精一杯で

一人静かに見守ってくれている母上の優しさに

なにも報いることができていなかったのだ

 

唯一、この家に残った娘として

母上を喜ばせてあげることもせずに日々を過ごしてきた自分を反省し

この休暇を利用して母上と二人でロワールへ旅に出ることにした

 

休みなのに毎日ぶつぶつ言いながら何だか忙しくしているおまえ

倒れたばあやの面倒をみながら少しは休むことができるだろう

 

私も、おまえと離れることによって自分の中で何かが変われる気がする

 

豪華ではないがスプリングの効いた馬車が用意された

以前、休みで遊びに来た姪のル・ルーが走っている馬車から飛び降りるという脱走事件を起こした

 

「だって、スプリングが利いていない馬車に長いこと座っていたからお尻が痛かったのだもの!」

 

…あれだけの騒ぎを起こしてこの言い訳だ…

それからこの家に来る馬車は何故かスプリングが効いていて

確かに座り心地は格段に良くなった

 

ロワール到着までの2日間昼間の移動のため物盗りに会う心配もないだろう

夜はあっても大丈夫なように近衛駐屯部隊の寄宿舎近くに宿を取った

 

私と母上は最低限の荷物を準備し、馬車に積み込む

いざ出発するときにおまえの姿を探したがおまえは見当たらなかった

 

馬車を走らせ、そろそろパリから離れるという時

開けた窓から入り込んだ風で乱れた髪を母上が直すために用意した手鏡に

映りこんだおまえの姿を私は見た

警護もつけずに旅をする私たちの後をみつからないようにそっとついてくるおまえ

 

父上の指示であることは見当がついた

「全く、せっかくくれてやった休暇が台無しじゃないか」

そう心の中でつぶやきながら自分の顔がほころぶのが分かる

 

私たちがその日の宿に到着したときには

そろそろ日も暮れかかるころだった

 

少し狭いが、清潔な宿

素朴で暖かい主人が出迎えてくれる

 

貴族であることが理由で宿泊を断られる可能性もあったので

私たちは平民の身分であり、パリで絵画や美術品を取り扱っている

貿易商だということにしていた

 

荷物を馬車から降ろし部屋へ入る

部屋の小さな窓から外を見る

 

おまえは私たちが宿に入ったのを確認すると

近くの寄宿舎へと向かっていった

 

大方、近衛駐屯部隊の寄宿舎父上からの委任状を見せ

特別任務とか何とか言って部屋を借りる

 

「…父上もお前も、同じくらい心配性なのだな」

 

子を想わない親などいないと言った母上の言葉を思い出す

 

「お食事にしましょう」

宿の主人が声をかける

 

久しぶりに楽しい夜だった

 

私は食後のワインを口にする

普段からは口にしない母上は主人の淹れたTEAを飲みながら

いままで聞いたことなかった父上と母上の馴れ初めやその後のことを

面白おかしく話してくれる

 

母上は意外と饒舌なのだな…

私一人だけが姉妹とは少し違う生き方をしていたがために

子供の頃からこうした夕食後の語らいの時間を読書や勉強に充てていた

 

姉上たちは毎晩、興味本位でおとぎ話の代わりにせがんだのだろう

母上の中の父上は、とても紳士的で、とても情熱的で

 

とても、私に良く似ているような気がした…

 

「お父様と結ばれる為に失わなければいけないこともありましたよ」

「でも、今はこうして幸せでいられる」

 

「失ったもの?」

 

「そう。お父様を支える為に捨てた夢がありました」

母上は静かに話を続ける

 

「母は思うのです」

「娘たちに夢を捨てて欲しくはないと」

 

「…夢」

夢とは…一体なんだろう

 

今まで現実の生を生き抜くことに精一杯で

「夢」という言葉は私の中には存在しなかった

 

せいぜい、若かりし頃の初恋が実ればいいと

儚い夢を抱いていたもあったが

母上の言う「夢」とは違う

 

気難しい顔をした私を見て母上が笑う

「そう難しく考えないで」

「夢はいつも近くにあって気付かないこともあるのですから」

 

「さぁ、もうベッドに入りなさい」

私は子供のように促されてベッドに入る

 

「この旅であなたの「夢」の答えが見つかると良いですね」

母上は私の額に優しくキスをする

 

「…おやすみなさい…」

 

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香ばしく焼けたパンの香りで目が覚める

 

庭で放し飼いされている鶏の新鮮な卵と

主人が育てているみずみずしいレタス

手作りのソーセージをはさんだサンドウィッチとTEA

 

久しぶりに心の底から美味しいと思える朝食

 

ここ暫くは、せっかく用意してくれた食事ものどを通らず

私は朝から強い酒を要求する始末で

 

…ふと、ばあやの温かい胸を思い出す

 

「…ばあやに許しを請わないと…」

ばあやが倒れてしまったのは

私を心配する心労からきたものに違いなかった

 

母上が微笑みながら言う

「良い心がけですよ」

「家に戻ったら今度はあなたがばあやに奉仕しなければね」

 

母上の言葉に私は頷く

 

朝食を済ませ身支度を整える

荷物を馬車に積み込み、私は宿の主人に必要以上の礼を渡して

次の宿へと旅立つ

 

おまえはすでに準備を整え寄宿舎の門の影で待っていた

 

「ありがとう。今日も頼むよ」

心の中でつぶやく

 

11月だというのに日差しが眩しい

私は走る馬車の窓から外の景色を眺める

旅にでてからというもの晴天が続いていた

 

ロワールに近づくにつれアラスにはないブドウ畑が続く

昼は暑く夜は涼しいこのロワールの気候が美味しいワインを生む

 

ここの人たちは自分の造るワインを飲みながら

来年はもっと美味しいワインを造ろうと

毎年、新たな信念を持って生きる

 

「地産地消…か」

 

今、王室はこうして素朴に生きている人々から

税金という名であらゆるものを取立て

それさえも足りずにいる

 

私は生まれた時から何の疑問もなく

当たり前のように満足な食事をし

当たり前のように温かいベッドで眠っていた

 

私のそんな当たり前の日常は

毎日の食事にもありつけず、温かいベッドも知らず

冷たい石の上に横たわる人々が払う税金の上に成り立っているということ

目の当たりにした

 

王室を守ることが任務の近衛隊の時とは違う

リアルなパリの現状を否が応でも見せ付けられる衛兵隊での任務

 

やせ細った子供

生気のない老人

乳飲み子を抱えて物乞いをする母親

 

目を逸らしたくてもできない現実

何も否もない人々がなぜこんな思いをしなければならないのか…

 

「私は無能なのです」

不意に言葉が口をつく

 

「突然、どうしたのですか?」

母上が驚いた顔をして私に尋ねる

 

「母上…私は…」

いろんな思いが込み上げ涙が溢れる

 

「私は、私なりに世間を見てきたつもりでした」

「私は、王妃様を何とか諭そうとしたのです」

「王妃様にはこのパリの現実を受け入れて欲しかった」

「…でも…女の身では…」

母上の膝に崩れて嗚咽を漏らす

 

「誰も…誰も俺たちを助けてなんかくれないさ…」

パリで出会った片足のないオルガン弾きの歌が胸に刺さる

 

「…あの美しかったパリが…」

嗚咽が激しく息が苦しい

言葉が続かない

 

ポン、ポン…

母上の優しい白い手が私の背中を叩く

 

「大丈夫…あなたは十分過ぎるほど立派に生きていますよ」

「あなたの行く道を阻むものは何もないのですから」

「あなたはあなたの信念のままに進めばよいのです」

 

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おまえがこの休暇中に奥様と短い旅に出ることを聞いて

心底嬉しく、羨ましく思う反面 

俺は、俺のそばを離れるおまえ心配した

 

物騒なパリとは違いロワールは比較的穏やかだ

という報告を聞いた後も不安は拭えない

 

おまえが出発する前の夜

おばあちゃんの部屋にいた俺は、だんな様に呼ばれて部屋に行く

 

だんな様は直筆の委任状を俺に手渡しながら言う

あれには見つからないようについてゆけ」

「宿は各寄宿舎へ」

「手はずは整えておく」

 

相変わらずの単刀直入、決断は早い

おまえにそっくりだ…いや、おまえが似ているのか…

 

俺は幼くして両親を亡くし、ばあちゃんに言われるがままこの家にきたときから

こうしてだんな様の代わりに

おまえを守るように仕込まれてきた

 

普段は明るくてちょっと頼りないけれどいつもそばにいる友人

おまえとそんな関係を作ることも使命だった

 

だんな様によって作られてきた俺たちの関係

初めは、おまえに対してきれいな子だと思ったことはあっても

恋愛感情なんて微塵も持ってはいなかった

 

大体が、剣をもったおまえに練習相手として向かっていくのに

邪道な感情なんて持っていたら…瞬間、刺し殺されるのは必至だ

 

そんなだんな様が娘を愛する気持ちにおまえ気付いていなかった

 

おまえは剣や乗馬の腕を磨き、だんな様に認められ、褒めてもらう

それがおまえにとってはだんな様に対する愛だった

 

おまえはバカが付くほど純粋で真面目で

相手が大人だろうが伯爵だろうが大司教だろうが、挙句の果てには国王陛下だろうが

間違っていると思ったら絶対引かない信念の強さを持ち正論をぶつける

 

だが、しかし、

時にそれは…

 

女の身でありながら

この貴族の世界で生き抜いていく為に

その純粋さが実に危うく脆いことだとおまえは知らなかった

 

周りにいるだんな様や俺がどれだけ火消しに奔走しているのかもおまえは知らずに

正論をぶちまけるおまえがどれだけ脆く、危うく、儚く見えていたことか!

 

そんなおまえの信念を言葉だけで軌道修正するのはなかなか困難だった

 

毎日、熱い思いを通わせておまえを論破していくうちに

恋愛感情が生まれるのは俺にとっては至極当たり前のことだった

 

ただ、そんな感情を抱いたのは俺だけだったけれど…

 

不意にだんな様からの指示を思い出す

俺は目を閉じて深呼吸をする…今はおまえへの想いを消し去る