12. 部屋

私は夕食後、部屋に戻り

星を眺めるためにバルコニーへと出る

 

バルコニーの左端から星空を見上げる私の瞳に

おまえの部屋の小窓が映る

 

この小窓から屋根に伝って出てきた

恋わずらいに陥ったル・ルーを思い出す

 

「…おまえ…部屋に鍵もかけていないのか…」

 

「俺の部屋にだけ鍵をかけても意味がないだろう」

「あいつはそういう奴だ」

 

ル・ルーの侵入を簡単に許したおまえへの八つ当たりがあだになった

確かに、ル・ルーなら私の部屋のこのバルコニーからでも屋根に登っていっただろう

 

クリスマス休暇まで会うことはないだろうと内心ホッとすると同時に

姉上に亡骸を送り届けずに済んで本当に良かったと心の底から思う

 

こうしておまえの部屋の小窓から漏れるほのかな明かりを見るのも久しぶりだ…

私は、幼い頃の記憶を辿る

 

おまえはこの家に来てから暫くはそれこそ私のそばから離れなかったものを

手先が器用で、物覚えが良くて

何しろこの家にはいない素直で可愛い男の子だったがために

あちこちから声がかかって家中の仕事を手伝わされ

私よりも忙しい毎日を過ごしていた

 

夜、私がバルコニーから草笛を吹くと

おまえはその小窓から顔を出し何用かと尋ねる

 

私は特に用事もないのに

おまえが先に寝てしまうのがつまらなくて

小さな意地悪をしていたのだ

 

おまえがどんなに疲れていたのかも知らずに

どうでもいい用事を作っては私の部屋に誘う

おまえはいつも眠たそうに目をこすり私の暇つぶしに付き合ってくれた

 

そして、あの日おまえは黒い騎士の偽者を演じるために

ベッドシーツを所々結んでロープのようにし

あの小窓からこのバルコニーに降りてきた

 

万が一、部屋に閉じ込められたとき

逃げられるようにと練習をしていただけなのに

 

黒い騎士の格好をしたおまえが本当の騎士のようにバルコニーに降り立って

私をどこか遠くへ連れ去ってくれるような不思議な気持ちを持ったことがあった

 

初恋に終止符を打ち

それを振り切るために現実だけを無我夢中で見つめていたあの頃

 

あの頃の私の全てにおまえがいた

 

いや…おまえと出逢った時からおまえは私の全てであり

私もまたおまえの全てだったのだ…

 

今、私はバルコニーからおまえの部屋の小窓を見つめる

 

おまえはその小さな明かりを頼りに

本でも読んでいるのだろうか

 

ばあやと二人、楽しい時間を過ごせただろうか

 

私は母上と久しぶりに食事ができた

そういえば、スープがとても美味しかった

 

帰りの馬車の中であれほど寄り添って熱く口付けを交わしても

ほんの少し離れているだけでこんなにも私はおまえを欲する

 

…もはや病気の域だな…

 

こんな日はおまえに少しでも自由な時間を与えてやりたい

そう思ってはいるのだが、自分自身の心と身体の均整がとれない

 

私は複雑な気持ちでおまえの部屋の小窓を見上げる

 

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蝋燭の明かりを見つめていた

 

今日、一日おまえと共に生きたこと

おばあちゃんと短くても楽しい時間を過ごせたことを

神に感謝していた

 

暫くぶりにこの部屋でゆっくりと一人の夜を過ごす

いつもは寝に戻るだけのこの部屋

 

ふいに、子供の頃の思い出が蘇る

 

おまえに草笛の吹き方を教えてしまったばっかりに

毎晩のようにピーピー呼ばれては眠れなかったこと

 

おまえは面白がって草笛を吹いていたけれど

厩舎まで聞こえていた草笛の音に馬が眠れないと

だんな様に叱られてから吹かなくなった

 

大体、おまえが草笛を吹くときは

俺が屋敷の仕事を覚えるのが楽しくて一日おまえの相手をしてやれなかった時に限っていた

 

毎日、剣の相手をしているからこそ分かるおまえの孤独

 

男として育てられ、この家の跡取という重圧を背負って生きる

おまえが抱える葛藤と矛盾

 

思春期とか反抗期とかそんな簡単な言葉では理解し得ないおまえの苦悩

 

あの頃は長年使えてきた使用人でさえもおまえの扱いに戸惑いを感じていた

多感な時期だったからこそ、おまえはその空気を敏感に感じ取ったのだろう

 

それは…態度になって現れる

 

おまえは屋敷の中でさえも余計な言葉を交わさず、笑顔も見せないようになっていった

そして周りはそんなおまえを腫れ物のように扱う

 

おばあちゃんでさえも声をかけるのをためらうほど

おまえはおまえの殻の中に閉じこもっているようだった

 

黒い騎士を追うようになった頃

ようやくおまえは本来のおまえを取り戻したように見えた

 

…長い道のりだったな…

 

不意に、小さな草笛の音に気づく

それは、厩舎で眠る馬たちの眠りを妨げないようにやさしく響く

 

俺は部屋の小さな窓を開ける

 

下を見るとバルコニーからこちらを見上げて草笛を吹くおまえがいた

俺は咄嗟に人差し指を鼻にあて「シー」の合図をずる

 

おまえは微笑んでいた

 

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おまえは私に合図を送ってすぐ小窓を閉めた

おまえの部屋に灯っていたほのかな明かりが消える

 

私はバルコニーから部屋に戻ってあの頃のようにおまえが来るのを待っていた

 

5分…

10分…

 

おまえは来ない

 

なぜだ

 

待ちきれない私は部屋の扉をそっと開ける

 

足元にハラハラと落ちる白い紙を手に取る

 

「そのまま左に進め」

 

おまえからの謎解きのプレゼントに私の心が弾む

 

ほのかな蝋燭の明かりを頼りに廊下を進むと

また足元に紙

 

「階段を上へ」

 

3階へ?

 

3階はこの家にいる使用人たちの部屋があるのだが

こんな時間に私が徘徊しているのを見られたら

それこそ何を言われるかわからない

 

できるだけ足音を立てないようにそっと歩みを進める

 

階段を登りきって様子を伺うと

窓から差し込む月明かりに照らされた紙が目に入る

 

30歩進んだら右の扉を開けろ」

 

私は30歩、歩みを進める

 

…右の扉

 

…おまえの部屋ではないか…

 

一応、ノックをしてからそっと扉を開ける

 

さっき消えていたはずのほのかな明かりが灯る

 

「…遅かったな」

 

扉に隠れていたおまえが後ろから私を抱きしめる

 

抱きしめるおまえの手を掴みながら

私は素直に心の内をおまえに呟く

 

「おまえが本当に疲れていることは分かっているのだ」

「でも…おまえを求めずにはいられない」

「こんな私は我侭なのだろうか…」

 

「俺もだよ…」

 

子供の頃、セラーから内緒で持ってきたワインをこの部屋で呑んだり

歴史の勉強をしながらおまえの膝の上で眠ってしまったり

小窓から身を乗り出して星を数えたり、流れ星に願いを乗せたり

 

おまえとの思い出がたくさんあるこの部屋

そして…不思議と寝心地のよいおまえのベッド

 

若草の香りがするシーツに包まって

おまえの田舎の話を聞くのが好きだった

 

私の知らない遊びやおまえの友達の話を聞く度に

おまえの全てを私という存在が奪ってしまったような気がしていた

だからおまえがこれ以上寂しい思いをしないように

私がいつも一緒にいてやると心に誓った

 

でも、みんなに可愛がられて忙しくしているおまえに

嫉妬していたのも事実だ

 

これでは誰が跡取りなのか分からない

 

そんな複雑な思いを持った私におまえは言った

 

「こんなにキレイな女の子なんだし、この家の大切な子なんだから」

「僕の真似なんてしなくていいんだよ」

「そのために僕がこうやってこの家の仕事を覚えているんだから」

 

「…おまえだけだったな」

「私をキレイな女の子と言ってくれていたのは」

 

「…俺は今でもそう思ってるけど」

おまえは後ろから私の髪にキスをする

 

「おまえがそう言ってくれたのに…」

「あの頃の私は恥ずかしさが先にたって素直ではなかったのだ」

 

「…それに、あの時は」

「私だけのおまえがみんなのおまえになってしまう気がしていた」

 

久しぶりに入ったおまえの部屋はおまえの香りで満たされている

私の心も少しずつ満たされていく

 

「おまえを独り占めしたくて草笛を吹いた…」

 

「…知ってるよ…」

「おまえはいつも寂しくなると草笛を吹いて俺を呼んだ」

 

「…寂しかったのではないのだ…」

「今日だって一日、ずっと一緒にいたのに」

「こんな短い時間離れているだけでおまえが恋しい」

「私はおまえと出逢ったあの日から知らず知らずのうちにおまえを求めていた」

「私は…こんなにも弱い人間だったのだと…」

 

私は振り返りおまえの顔を見る

おまえの優しい眼差し…温かな唇…私の全てを包み込むおまえの全て

 

「今までも、これからも」

「ずっとずっと」

「俺はおまえだけのものだ」

「俺はいつでもこうしておまえのそばにいるよ」

 

ほのかな明かりの中で

私たちはお互いを求め合い愛し合う

 

あの頃の…無邪気な心のままで