4. 愛馬

いつもよりずいぶん早く目が覚めた

 

よく眠れたことが、とても良い目覚めを運んでくれた

 

天井を眺めながら

今日の勤務のことを考える

 

彼らは良く眠れただろうか

二日酔いで欠勤する者がいるかも知れない

でも、今日ばかりは許してやろう

 

そんなことを考えながら寝返りを打つ

 

私の他には誰もいないはずのベッドに…

私の横に…

 

おまえが寝ている

 

…なぜ…おまえがここに…

 

そうか…きっと私が引き止めたのだろう

 

私は懸命に夕べの記憶を辿る

 

ただ、ひたすらに眠たかったことだけは覚えている

ばあやとおまえと楽しいひと時を過ごし

夕食も美味しくいただき

心も身体も満たされた私はただただ眠たかった

 

激動の3日間

思えば、私は殆ど睡眠をとっていなかった

 

夕べは、おまえの選んだワインを一口呑んで

…それが限界で

 

わたしは眠ってしまったのだ

 

一度、それまで暖かく包んでいてくれていたおまえに

突き放されてしまった気がして

慌てて引き止めたのは夢ではなかった

 

おまえの寝息を聞きながら

寝顔を堪能させてもらう

 

子供のころの面影が残っているのは

長いまつげとこの唇

 

頬から顎にかけて子供の頃とは違うおまえの輪郭を目で辿る

おまえの顔はずいぶん男らしくなったのだな

うん…なかなかの男前だ

 

私が7歳の頃からずっと一緒にいるお前の顔なのに

じっくり寝顔を見たことがなかった

まあ、おまえのほうが私よりも早起きだからということもあるが…

 

しかも、こんなに無防備なおまえの顔

 

男なのに可愛いな…

思わず鼻で笑う

その息がお前の前髪をそよがせる

 

「…う…ん…」

軽く眠りから覚めたおまえは私の名前を口にする

 

「…どこだ…」

眉間に皺を寄せ、その一言を搾り出す

 

少し荒くなった呼吸がまた少しずつ落ち着きを取り戻す

そしてまた深く眠りにおちる

 

寝ぼけているのか、夢を見ているのか

私を探しているかのような寝言

 

私はここにいるのに

おまえの心は不安に満ち溢れているかのようだ

 

私は少しだけ起き上がり

おまえの頭をそっと私の胸に抱える

 

おまえが良い夢を見られるように

 

私が本当に幼い頃、怖い夢を見て泣いていると

ばあやはこうして私の頭を胸に抱いて優しく撫でてくれた

 

私も同じようにおまえの頭を優しく撫でる

 

眠るおまえの顔が笑っているようだった

そして、わたしもまた少しだけ目を閉じる

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

明け方まで起きていたはずだったが

さすがに限界だったようだ

 

俺はおまえの頭を撫でているうちに

眠りに落ちてしまった

 

夢を見ていた

 

出逢ったばかりのころの小さなおまえが目の前にいた

 

肩まで伸びた黄金の髪を風になびかせて

俺を見つめる

 

ここは…どこだろう

 

遠くからおまえと同じバラの香りを感じる

 

小さなおまえの姿が光に包まれる

俺は左手で光をさえぎりながら

おまえの方へ歩み寄る

 

光の中からおまえの小さな右手が俺を誘う

 

あと少しで手が届きそうだったのに

俺は、あまりの眩しさにおまえの小さな手をつかみ損ねる

 

その瞬間、やわらかい風が

俺の前髪をそよがせる

 

今、ここにいたはずの小さなおまえの姿が消えていた

俺は咄嗟におまえの名前を叫ぶ

 

俺は懸命におまえを探す

「とこだ!」

「どこにいる!」

 

俺の心は喪失感でいっぱいだった

もう…二度と会えないのか…

 

幼いおまえのその瞳…鼻…唇…を思い出す

こんなにも愛しているおまえに二度と会えないのか…

 

打ちひしがれて呆然と立ちすくむ俺の前に

優しく伸びる手

 

細く長いおまえの手に良く似たそれに

俺は全てを委ねる

 

その手はその胸に俺を誘い

そっと俺の頭を包み込む

 

「あなたは…神なのか…」

 

俺は優しさに包まれながら

幼いおまえが消えてしまった喪失感から解き放たれる

 

「俺は…愛されてもいい人間なのか…」

 

俺の頭を優しく撫でるその人は無言で微笑んでいた

 

 

意識が薄らぐ

はっきりとしたバラの香りが俺を包む

 

俺は目を覚ます

 

目の前は柔らかな障害物に遮られ何も見えない…

ただ、この頬に触れるシルクの肌触りとバラの香りだけははっきりしている

 

俺はできるだけ動かないように今の状況を考える

 

…俺はひょっとして…

 

ヘッドロック状態なのか?

そして…今、この目の前にある柔らかな障害物は…

 

…まずい…

 

俺の理性がやばい

 

俺はおまえが眠っていることを祈って

本当にそっと、少しずつおまえの胸から離れる

 

俺は起き上がる事もできずに

ベッドから滑り落ちるように抜け出す

 

おまえをベッドに降ろすときは

この柔らかすぎるスプリングが邪魔なのに

今はそれがありがたい

 

気持ち良さそうに眠るおまえに

そっとシーツを掛けなおし

俺は自分の部屋に戻る

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

目が覚めた

二度寝をしたのもまた久しぶりだ

 

案の定、おまえは早々に目覚めて

自分の部屋へ戻ったのだな

 

まだ少しだけ温もりが残る

おまえの寝ていた場所を手のひらでなぞる

 

私はベッドから起き上がりガウンを羽織る

湿気があるせいか少し肌寒い

 

エントランスを抜け扉を開ける

 

霧が出ていた

 

その足で厩舎に向かう

いつもと変わらない姿のおまえがいた

 

「おはよう」

 

「おはよう」

 

「良く眠れたか?」

 

「あぁ、おまえは?」

 

「おまえのお蔭でよく眠れたよ」

 

「わたしのお蔭か?」

「そうか、おまえの言っている意味が良く分からないが、それはそれで良かった」

 

私は愛馬に牧草を食べさせる

「悪いな…毎朝世話をしてあげられなくて…」

「おまえが産まれたとき、父上に約束したのに…」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

この真っ白な子が生まれた日

おまえは産気づいた母馬のお腹を一生懸命擦りながら祈っていた

 

始めてのお産で涙を流す母馬を見て

おまえも一緒に泣いていた

 

「痛いのか?」

「もうすぐ産まれるから頑張るんだ」

 

興奮してきた母馬からおまえを引き離す

 

不自然に仰向けになった子馬の白い足が見える

 

…逆子だ!

 

厩舎で一番古株のヴァンが叫ぶ

 

ロープで子馬の足を縛る

力ずくで引く

 

母馬が痛みに鳴く

 

引きずり出した子馬が横たわる

 

ヴァンが子馬の首や足が折れていないことを確認して

母馬から離れる

 

おまえは一部始終を

瞬きもせず見ていた

 

おまえの口元が動く

「がんばれ…」「がんばれ…」

 

 

5分…

10分…

 

母馬が産まれたばかりの子馬を優しく舐める

 

それに刺激された子馬の首が母馬の乳を求めて動く

 

そして…

 

子馬は立ち上がり、母馬の乳を飲む

 

母馬の乳を飲んで満足した子馬は

おまえを認めると自然と歩み寄る

 

そして、おまえの前で頭を垂れる

 

不思議な光景だった…

 

そこにいるおまえに完全に服従する産まれたばかりの子馬

 

いつからかそこにいた将軍がおまえの肩に手を置き言う

「…おまえの馬だ」

「人任せにせず、おまえがちゃんと育てるのだ」

「いいか、人も馬も同じ命を持っている」

「この子馬の信頼を得られなければ、おまえはこの先持つだろう部下の信頼も得られないだろう」

 

「はい、父上」

「約束します!」

 

おまえは将軍にそう約束していた

 

それからおまえは朝早くから

餌やり、糞尿の片付けからブラッシングまで一生懸命世話をした

この“ファミーユ”(家族)と名付けた子馬に心底愛情を注いでいた

 

この子はおまえから受けた愛を覚えているよ

生まれ出てくる前からおまえがどれだけこの子に愛を注いでいたかも

産まれてからもおまえがたくさんの愛を注いできたことも

 

ちゃんとこの子は覚えている

 

この子はこの世に産まれ出る前からおまえの馬なんだよ

 

おまえと遠乗りに行くときの目の輝き

おまえと狩に行くときの獲物を追う足

そして…おまえがただ泣きたいときに見せるやさしい瞳

 

ファミーユはおまえと一緒にいる時は本当に幸せそうだ

そして、俺には見せないおまえの顔もこのファミーユは全部見ているんだな

 

「…ファミーユ…」

「おまえはいつも暖かい…」

 

おまえはファミーユの頬に頬を寄せる

ファミーユも満足そうに白いまつげを伏せる

 

「さあ、朝食の時間だ」

「仕度をしよう」

「あいつらがまってるぞ」

 

おまえは俺の目をまっすぐ見つめる

朝日に照らされるおまえの瞳はさらに深く蒼い

 

どちらからともなく唇を寄せる

 

「…これは…朝食か?」

 

「ふふふ、これは心は満たされるが腹は満たされない…だろう?」

 

「そうだな」

「じゃあ、まずはショコラで身体を温めようか」

 

俺たちは朝日の中、厩舎を後にする

ファミーユの温かいまなざしを感じながら…