3. 睡眠

久しぶりにお会いしたアントワネット様

 

この国を思う女王としての責任感に満ち溢れ

行く末を淡々と語る一方でとても寂しそうに見えた

 

彼を待っているのだと…

彼に会いたいのだと…

 

私にさえも打ち明けられない女王としてのプライドが

とても悲しく見えた

 

なぜ彼のために生きると言えないのか

私は衝動的に詰め寄った

 

少し前の私には考えられないことだ

 

今は…人を愛するということを知った今の私は

この寂しげな女王の口から彼への愛の言葉を聞きたかった

一人ぼっちで佇む女王の唯一の拠り所が彼であると

その一言が聞きたかった

 

彼は必ず戻ってくると私は確信していた

この方を放っておいてのうのうと生きていける男ではない

 

ひとり、家路に向かう馬車の中で

一刻も早く彼があるべき場所に戻るように祈った

 

そして、私もおまえに早く会いたくて気持ちが逸る

人恋しさに心がざわつく

早くおまえの温かい胸に包まれたい…

 

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屋敷に戻ってその足で私は、ばあやの部屋を訪ねる

 

ばあやが倒れてからのおまえは特別仕事がなければ

ばあやのいる部屋にいることがほとんどだった

 

「おかえり」

 

振り返ったおまえの顔は

ばあやと楽しく話をしていたことがよく分かる

 

「ただいま」

 

「お嬢様、お帰りなさいませ」

無理に起きようとするばあやを起きないように手で諭しながら私は言う

 

「楽しい話をしていたようだね、私にも聞かせてくれないか?」

 

「他愛もない昔話だよ」

 

「それは私の知らない話か?」

闇雲に話せと脅しているようにもとれる私の一言に

おまえは“全く…しょうがないな”といった表情で私を見る

 

「夕食がまだだろう」

「先に済ませたらどうだ?」

おまえがそういうのを私は待っていた

 

「おまえは食べたのか?」

「食べてないのならここで一緒に食べよう」

 

おまえは少し困ったような顔をして言う

「そう簡単に言うんじゃない」

「仕度をする女官のことも考えるんだ」

「それに、おまえと俺では食事の内容も違うんだぞ」

 

…あぁ、そうだったのか…

また私の無頓着なところが出てしまった

 

食事の内容が違う…

確かに次期当主の私と、その従僕であるおまえの食事が違うのは

当然といえば当然かもしれない

 

でも、だから何なのだ

 

同じものを食べれば良いではないか

そして、準備も自分ですればいい

 

「私が用意する!」

「だって…おまえとしょく…」

私がそこまで言うと慌てておまえが止めに入る

 

「分かった、分かったから」

「一緒に準備しよう、な」

 

「ばあちゃん、ちょっと一緒に準備してくるからおとなしく寝ててくれよ」

そういっておまえは無理やり私を部屋から引きずりだす

 

廊下に引きずり出されて私はいきなり説教を食らう

「おまえはこの家の次期当主だということを忘れるな」

 

そんなことはもう私にはどうでもいい

 

「このひと時をおまえと一緒に過ごしたいだけなのに…」

 

私のその一言でおまえは両腕を上げ降参のポーズをとる

私は無防備なその胸に顔を埋める

 

「とりあえず着替えて来い」

私の頭を撫でるおまえの優しい手と声が私を包む

 

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私は急いで軍服を脱ぎ

部屋着に着替えて部屋を出る

 

足早に調理場へと向かう

 

大人になってからは訪れる機会のなかった調理場の懐かしい香りが

子供のころの記憶を呼び起こす

 

小麦と肉と火の匂いが入り混じった空気

調理場のドアを勢いよく開ける

 

そこにいる全ての人が

一斉に私を見つめる

 

そして、それぞれの瞳が

自分が何かをしでかしたかもしれないという

恐怖と悲哀に満ちていた

 

「いや…違う…」

思わず気持ちが言葉に出る

 

次の言葉が見つからない私に

料理長が言う

 

「お気に召さない料理がおありでしたでしょうか?」

「最近は食が細くなられているようでしたので、できるだけ消化の良いものを用意させていただきました」

「味付けも薄くしたものになっております」

「もし、お気に召さないようでしたらなんなりとお申し付けくださいませ」

 

「私たちはあなた様のためにここにいるのですから」

 

私は自分の無頓着振りを今更ながら恥じた

本当に…私は一人では何もできない

 

私の身体をここまで心配して食事の用意をしてくれた料理長

私はここにこうして来なければそれにすら気づかなかっただろう

 

「…ありがとう…」

「それを伝えにここに来たのだ」

 

そう…これは本心だ…

 

分別も分からない子供の頃

この家で働く人はみんな優しく穏やかで

私は全員が本当の家族だと思っていた

 

つまみ食いした七面鳥

興味本位で焼いた黒焦げのクッキー

調理場のみんなと集めた野草

 

幼い頃の思い出が蘇る

 

「ありがとう…こんな私のために心を尽くしてくれていることに感謝している」

「これからは料理もちゃんと残さずにいただくよ…」

 

私の言葉に料理長をはじめみんなが笑顔になる

 

いつの間にか調理場に来ていたおまえが私を促す

「さあ、おいしい夕食をいただこう」

 

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ばあやとおまえと一緒に食べる夕食

 

スープは私のために料理長が作ってくれたものだから

若干味は薄いけれどばあやと私にはちょうど良い

 

「ねぇ、ばあや」

「私が結婚したらどうする?」

 

おまえは口に含んだスープを吐き出しそうな勢いでむせ返す

 

「お嬢様が結婚?」

「私が長年、思い焦がれていた夢でございます」

「生きているうちに是非ともお相手にお目にかかりたいものでございます」

 

「ばあや、その相手が目の前にいるとしたらどうする?」

 

「…目の前…?」

ばあやはきょとんとしておまえの顔を見つめる

 

はっとして叫ぶ

「お嬢様!冗談でもそんなことは仰らないでください」

「このでくの坊と結婚だなんて…想像しただけでも恐ろしい」

「何の役にも立ちませんよ!」

 

おいおい、言われ放題だな

ここまで言われると何だかおまえがかわいそうだ

 

おまえは、ばあやに聞こえないように私に耳打ちする

「後でみっちり説教タイムをいただこうか」

 

たわいもない昔話を私に教えてくれないから

ちょっとからかってみただけだ

 

…それに…うそではないだろう

私は、ばあやにおまえと愛し合っていることをきちんと伝えたいのだ

 

おまえはそんな私の心を読んで言う

「おまえは…ばあちゃんを殺す気か?」

 

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おまえの聞きたい話をしよう

 

話の発端は、今回の衛兵隊員の処分の件で

おまえがだんな様に説教されたことをばあちゃんが知った事に始まる

(説教といえるレベルではないが…ばあちゃんの心臓を考えて…)

 

俺たちが子供のころ

屋敷の中庭に大きなカシの木があった事を覚えているか?

 

俺たち子供にはちょうど登りやすい大きさのカシの木

 

おまえはだんな様に叱られるといつもその木に登って泣くんだ

で、俺はばあちゃんに頼まれておまえを連れにいく

 

でも、おまえはただじゃ降りないから

料理長にお願いして作ってもらったアーモンドにキャラメルをからめたお菓子を持っていくんだ

 

覚えてるか?

 

おまえは小さい頃から砂糖菓子は食べないけれど

キャラメリゼされたちょっと甘くて塩気の効いた菓子が好きだった

 

俺はそれをおまえの口に放り込んでしばらく様子を見る

 

「父上のところに一緒に行ってくれるか?」

「部屋の前まででいいから」

 

しゃくりあげていた涙も乾いた頃

おまえはお菓子を口の中で転がしながら俺に言う

 

「いいよ」

「一緒に行ってあげる」

 

ようやく俺はおまえを木から降ろす

 

で、大人たちは

俺がいとも簡単におまえを木から下ろしたって勝手に盛り上がってたって話さ

 

「ふん、なるほど」

「でも、私はその後の話も覚えているぞ」

 

おまえが自慢げに話す

 

「私のためにおまえが父上に尻を叩かれた話だ」

「ばあや、私は今ここで懺悔する」

「何も悪いことをしていないばあやの孫が…」

「私の悪知恵のために可愛い孫のお尻が犠牲になった」

 

…悪知恵…?

おまえ、まさか俺が先に叩かれるように仕向けたのか

 

おまえは本当に楽しげに笑う

 

「冗談だよ」

「おまえはいつも私のために自ら進んで叩かれていたではないか」

 

…また深夜の説教の材料が増えたぞ

でも、おまえが覚えていたなんて意外だったな

 

「母上が良く覚えていて私に教えてくれたのだ」

「だから私も思い出せた」

 

「そうですよ、お嬢様」

「奥様は赤くなったお尻に貼るようにおまえの分まで湿布を用意して下さって…」

 

…ばあちゃん、そんなことで泣かなくても…

 

「ばあや、泣くな」

「そのお陰で打たれ強くなったのだ」

 

…いや…それもなんか違う…

 

でも、まあいいか

おまえがこんなに楽しそうに食事をするところを

久しぶりに見た気がする

 

「さあ、楽しい話はここまでだ」

「おまえは部屋に戻れ」

「ここを片付けたらワインを持って行ってやるから」

 

「片づけならわたしも一緒にやる」

「そもそも私が言い出したことだ」

 

「いや、それだけはやめてくれ」

「長年このお屋敷に仕えてきた食器の命がここで尽きるのは見るに耐えない」

 

「…」

 

おまえはとても納得した様子で

おばあちゃんにおやすみのキスをする

 

おまえを部屋まで送り届ける

 

扉を閉めようとする俺の顔に手を伸ばし

おまえは唇を重ねる

 

「早く…きて…」

 

あぁ、こんなにも愛おしいおまえに唇を返す

 

「勿論だ」

 

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片付けた食器を厨房へと運ぶ

 

調理長とサブ長が残っていた

 

「料理はどうだった?」

 

「うん、今日は全部食べたよ」

「急におばあちゃんの部屋で食べたいなんて言い出して悪かったね」

 

「いや、食事さえしてくれれば俺たちはどこで食べてもらってもかまわないよ」

 

食が細くなるおまえを心配しているのが手をとるように分かる

 

「料理長、俺もそばで見ていて思うのだけれど、味付けとか食材の問題じゃない気がするんだ」

「今は激務続きで食欲が出ないのは仕方がないと思うけれど」

「根本的に食べることへの欲求がないというか…」

 

「今のところ、スープは残さず摂るようだから」

「栄養価の高い具材を入れてもらえると助かるな」

 

料理長の顔がほころぶ

 

「よし、分かった」

「最強で最高のスープを用意しよう」

 

料理長、ありがとう

あいつにもその熱意を伝えておくよ

 

食器を片付けて、俺はワインを選びに地下のセラーへと向かう

 

今夜は食事もしっかり摂ったから

少し軽めのワインにしよう

 

ブルゴーニュ産 ピノ・ノワール種の赤ワイン

酸味が強いから摂った食事の消化も助けるだろう

 

俺はワインを持っておまえの部屋へと向かう

 

ドアをノックするのと同時に内側から扉が開く

 

左手にワイングラスと右手にワインを持った状態の俺の胸に

躊躇なく飛び込むおまえ

 

「わっ、馬鹿!」

「グラスを割るつもりか!」

 

おまえは胸に埋もれた顔をそっと上げる

 

「ふふふ」

「早くこうしたくてずっと扉の前で待っていたのだ」

 

…もう、こんなんじゃ怒る気も失せる…

 

「分かった、分かった」

「さあ、ワインを呑もう」

 

ソファに座らせてワイングラスを渡す

「今日のは少し酸味があるぞ」

 

おまえは注がれたワインを口に含む

「うん…美味しい…」

「おまえが選ぶものには間違いがないな」

 

満足そうなおまえの横に座る

 

「軍務証書は取り戻せたのか?」

 

「…うん」

「アントワネット様にも会って話をしてきた」

 

「…何だか寂しそうだった…」

 

王妃様の抱える寂しさを

まるで自分のことのように思えるおまえの純粋さが

俺には美しくもあり儚げにもみえる

 

おまえの頭が俺の肩に乗る

俺は左腕をおまえの背中にまわし

そっと引き寄せる

 

「無理に呑まなくてもいいんだぞ」

「今日はゆっくり眠るんだ」

 

「…みんなも久しぶりにゆっくり眠れているだろうか…」

 

アントワネット様の次にはあいつらの心配か

おまえも苦労が耐えないな

 

「さあな、とても大人しく寝てるとは思えないがな」

「今頃、酒盛りで大騒ぎだろう」

 

「ふふふ、私も一緒に祝杯をあげたかったな」

 

「そうだな、たまにはそういうのもいいな」

 

俺はおまえの髪に唇を寄せる

柔らかいおまえの髪の香りが俺を包む

 

「さあ、今夜こそゆっくり眠れるように」

「おまえが眠りにつくまで俺がそばにいてやるから」

「ベッドに入ろう」

 

「うん、今日は何だか…とても眠い…」

 

俺の肩にもたれたまま

おまえはうつらうつらと気持ちよさそうだ

 

人恋しさに俺に付きまとい、散々じゃれては

疲れて俺の胸の中で眠る

子供の頃と何も変わらない愛おしいおまえ

 

抱きかかえてそっとベッドに降ろす

 

おまえは少し目を覚まし、俺と視線を交わす

 

「どこに行くのだ…ここにいてくれないのか…」

おまえはそう言って俺の腕を引き寄せる

 

…おまえは男の理性というものが全く理解できていない

 

が、俺は我慢するほか仕方がない…

俺はおまえに言われるがままにベッドに横になり

また寝息をたて始めるおまえの髪を撫でる

 

本当に…

 

愛しているよ

 

俺の全身全霊をかけて

これからもおまえを愛し抜き、守り抜くことを誓うよ

 

だから、おやすみ

 

俺は夜が明けるまで

おまえの美しい寝顔を見つめていた