2. 告白

これから先、私の信念はどこへ向かえばいいのだろうか

 

軍隊とは、このフランスを守るためにあるのではないのか

軍隊とは、国民を守るためにあるのではないのか

 

身分が違うというだけで同じ国民同士が争う

そして、その一方を援護することが果たして軍隊の役割なのだろうか

 

違う

それは間違えている

 

軍隊とは…この国のために

 

常に弱きものを支え

正しきものを導き

間違えたものを排除する

 

決して権力や圧力に屈してはならない

 

それが軍隊というものではないのか

 

今、志を同じくした私の親愛なる部下が幽閉されている

 

蝋燭が灯された部屋に一人

私はこれからの身の振り方を模索していた

 

軍務証書を取り上げられた今

私個人の判断で衛兵隊を動かすことはできない

 

ただ、一刻も早く彼らを助け出さねば銃殺刑にされてしまう

あいつなら…ブイエ将軍なら明日にでも決行するだろう

 

急がねば…

 

今の私が無力なら

民衆の力を借りるしかない

仮に暴動が起きたとしても彼らが助かるならば手段は厭わない

 

ベルナール…

おまえならできるだろうか…

 

突然、ドアが開く

 

怒りに満ちた血の気のない顔の父上がそこに立っている

 

代々、王室を守ってきたこの家にはあってはならないこと

例え何がおきようとこの家は王室を守ることが使命だと

 

…分かっています

 

それでも私は私自身の信念に背けずにいます

 

一体、私の何が間違えているのか

王室のためなら何をしても許されるのか

そこまでしてこの家を守りたいのか

私には理解できません

そう言葉にしたいのに何も言えずに私はただ立ちすくむ

 

父上の刃が喉下に触れる

 

「成敗…」

 

瞬間、父上の背後に現れた白い影

影から伸びたその腕が強く父上を押さえつける

 

「身分の違いを超えるものがあると思うのか」

「はい…」

 

その言葉だけが私の耳に届く

 

そう…私が今まで気にもしていなかったおまえとの距離は

身分の違いという言葉だけで何となく片付けられてきた

 

いや…違う

私はおまえとの関係の中に身分の違いなどあるとは露ほども思わず

これまで生きてきたのに

 

時には

目上の人に対しておまえを従僕のように扱ったこともあったけれど

それはおまえが気まずい思いをしないように出た言葉でもあり、態度でもあった

 

いつもそばにいて

いつも助けてくれて

いつも笑いあってケンカして時には泣いて

そんな私たちに身分なんて関係なかった

 

ただ兄弟のように

いつも寄り添って生きてきただけなのに

 

父上の言葉を聞いて

おまえが私との間にある超えられなかった身分という壁に

苛まれていたことを始めて知った

 

私は自分自身に与えられた身分というものにあまりにも無頓着だった

 

私の生き方にも問題があったのだろう

私は「自分の性」に対しても無頓着なのだから…

 

おまえはそんなどうでもいい苦しみを背負って今まで生きてきたのか…

そのために私に何も言えず、何もできずに生きてきたのか…

 

そして、今また私には何も求めず

命をかけて私を父上の刃から守ってくれている

 

「私の騎士なのです…」

ロワールへの旅の途上、母上に言った言葉が蘇る

 

父上は私へ向けた刃を収める

「おまえを殺せばばあやも生きてはいない…」

 

いや…父上はこの息子のように育ててきたおまえを殺すことなどできない

 

父上が部屋から出て行く

 

…しばらくの静寂が私たちを包む

 

あのロワールの旅からずっと自分自身に問い続けていた答えを

ここで出さなければならないと私は咄嗟に思った

 

今、この時を逃してしまったら

このままおまえとは永遠に交わることはできないと…

 

おまえがホッと息をしてシャツのリボンを緩める

このまま何も言わず私の部屋を出て行ってしまう気がして

慌てて左腕を伸ばす

 

「愛している…」

 

ありったけの思いをこめて搾り出した一言

 

私だけを愛してくれていると分かっているのに

あえて確かめる

私だけを一生涯愛しぬくと分かっているのに

あえて確かめる

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

おまえが一人部屋にいることを確認して

俺は着替えに自分の部屋へと向かう

 

今日起こしたおまえの暴挙を将軍が黙っているはずがないことは

分かっている

 

遅からずおまえの部屋にいくだろう

 

俺は手早く着替えを済ませておまえの部屋に向かう

 

部屋を出る前に机の引き出しから短剣を取り出す

子供のころおまえから貰ったこの家の家紋の入った短剣

 

「…使わないことを祈る…」

 

おまえの部屋のドアが開いている

案の定、将軍がおまえに掴み掛かっていた

 

おまえの喉下に当たる刃が青白く光るのを見る

 

その瞬間、血が逆上していくのが分かった

 

おまえに何かあれば俺は将軍を殺しておまえを連れて逃げる

…それは本心だった

 

無我夢中で将軍の手を取りねじりあげる

もう、この先自分がどうなるかそんなことはどうでもよかった

 

ここで俺の命が果てたとしても

おまえが生きてさえいてくれればそれで良かった

 

突然、将軍が言う

「ばかめ…が…」

「…はい…」

 

俺はその一言に長年従事してきた俺に対する愛を感じた

そして、そもそもおまえを成敗する気はないことも…

 

「身分の違いを超えるものがあると思うのか」

「はい…」

 

「おまえを殺せばばあやも生きてはいない…」

その言葉が俺を現実に引き戻した

 

将軍が部屋を出る

 

緊張が解けて俺はシャツのリボンをはずす

 

おまえは何も言わず考え込んでいた

 

…無理もない…

あいつらのことで頭がいっぱいなはずだ

あいつらをどうやって釈放させるのか

ブイエ将軍からの命令が出る前になんとかしなければ

 

ふいにおまえの左手に俺のいく手が遮られる

 

「愛している…」

 

突然の告白

 

俺はおまえの真意が掴めないまま呆然と立ちすくむ

 

そんな俺に、おまえは堰が切れたかのように詰め寄る

 

「私は無力だ…みただろう…一人ではなにもできない」

 

何を言っている?

おまえが無力なら俺はなんだ?

一人で事をなせる人間などこの世には存在しない

 

「私の存在など巨大な歴史の歯車の前には無にもひとしい」

 

そうだよ…俺たちはこの永遠に続く時間の中で生きている捨石だ

でも、歴史に名は残せなくてもおまえの信念までも失われることはない

 

「だれかにすがりたいささえられたいと…」

「そんな心の甘えをいつも自分にゆるしている人間だ…」

 

違う!おまえはそんな人間じゃない!

おまえはいつも自分に厳しく、人に優しく

いつもか弱き人間に心を寄せて生きている

そして決して自分の弱さを見せずに誰にも頼ることなく生きているじゃないか

 

「それでも愛しているか!?」

「愛してくれているか!?」

 

いまさら俺に聞くのか?

 

「生涯かけてわたしひとりか!?」

「私だけを一生涯愛しぬくと誓うか!?」

 

当たり前だ

いままでもこれからもおまえだけだ

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

窓から初夏の風が吹きこむ

 

私は自分の気持ちも

おまえへの思いも

気持ち良いほどさらけ出した

 

今の私は彼たちを救出することで頭がいっぱいだ

 

暗闇の中、ベルナールの家へ向かう

 

一人乗る馬車の中でつい心細くなる

私はおまえの温もりを求めて思わず窓から身を乗り出す

 

私の視線に気づいたおまえは馬車を止めて私を誘う

 

「こっちへ来い」

 

少しだけ暖かくなった風を感じながら

私はおまえに少しだけ身体を預ける

 

「大丈夫だよ」

「全てが思い通りに行くよ」

 

おまえはそう言って私の肩を抱き

気持ちを落ち着かせてくれる

 

久しぶりに会うロザリーはますます綺麗になっていた

 

ベルナールに彼らの釈放を要求できるだけの市民を集めて欲しいと頼む

「おまえのアジ演説なら市民を集められるだろう」

 

「もし、それがきっかけで暴動になったらどうする?」

 

「…責任は取る」

私のこの一言がどちら側に向けられている言葉なのかベルナールは理解していた

 

「…分かった。できるかぎり力になろう」

 

「感謝するよ、ベルナール」

 

おまえが黒い騎士だったなんて

おまえが私の愛おしい人の片目を奪ったなんて

おまえが私の春風をも奪ってしまうなんて

 

冷静に思えば

おまえはいいとこ取りだな、ベルナール…

 

でも、今は

ベルナール…

おまえはとても信頼できる友人の一人だ

 

私とおまえ

ベルナールとロザリー

 

このフランスの行く末を共に見届けていくために

そして、私が進むべき道を進むために

これから先も一緒に歩んで行ける大切な人たち

 

私は今

本当に人と人との繋がりに感謝して生きている

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

翌日、ベルナールの演説に集まった民衆のおかげで

彼らは釈放された

 

軍務証書を取りに向かった宮廷で

思いがけず私は王后陛下に謁見を許された

 

久しぶりにお会いするアントワネット様は

相変わらず毅然としてお美しい…でも、どことなく儚げだった

 

「衛兵隊も武装して戦うときがきます」

そう言うアントワネット様に私はまた自問自答を繰り返す

 

「誰のために…?何のために…?」

 

民衆が本当の敵ではないことがなぜ分からないのか

なぜこの変革の渦の中に身を投じることができないのだろうか

 

なぜ”愛のために生きる”と言えないのだろうか

 

私は思わず細い腕をとり思いをぶつける

 

私は皇后陛下の女としての心を

若かりしころには理解できなかった女の心を

今なら少しは理解できる

 

もっと早くに相談相手になれればよかったのにと

今更ながら思う

 

柔らかい桃色の頬

ツンととがった唇

どこまでも見渡せそうな大きな瞳

そして、生まれ持った女王としての気質と風格

 

あれから20年あまり…

 

私は本当にこのお方が大好きだったのだ

だから私の全てを持ってお守りしようと

あの幼い頃、確かに心に誓ったはずなのに

 

「あなたに女の心を理解しろというのは無理な話なのでしょうか?」

 

そう言われた頃から

職務とは関係なく数少ない友人として

少しずつ心が離れていったのは事実だった

 

事実、その頃の私に女の気持ちは全く理解できなかったのだから…

 

私は今、やっとこうして女として

本音で助言を差し上げられたことに心から満足し

彼が一刻も早くこのフランスに戻ってきてくれることを

心から祈った

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

屋敷へ向かう馬車の中で一人

ばあやの部屋にいるだろうおまえを想う

 

もう夕食は済ませただろうか

おまえと語り合える時間はあるだろうか

おまえの胸の中でまどろむ時間はあるだろうか

 

私はどうかしてしまったようだ

おまえのことばかり考えている

 

もう、私はおまえなしでは生きていくことはできない

いや、今までもそうだった

ただ、私が気づいていなかっただけの話だ

 

ふふふ

 

こんなにも鈍感な自分自身に呆れて笑いが込み上げる

 

遠くに屋敷の明かりが見える

さあ、今日はおまえとどんな話をしようか

 

私は安堵感に包まれてそっと目を閉じる