1-14. 夢

サラが私の乗っている馬の尻を思い切り叩くと

馬は躊躇なく走り始める

 

私は断ち切れぬ思いを抱えたまま

サラが見えなくなるまで馬に身を任せた

 

せっかくここまで来たのに

何も聞けずに帰る自分が歯がゆくてたまらない

でも、今更戻るわけにも行かない

 

私は思う…

ジェローデルから求婚された後

ワインに毒を盛って私を永遠に手にしようとしたおまえ

 

もし、サラがジェローデルと同じようにおまえを求めたら

私はどうしただろうか…

 

私を愛していると言ってくれたおまえは変わらず

いつも私に寄り添っていてくれている

 

でも、ある日突然私の知らない女を連れてきて

結婚したいというかも知れない

 

おまえが私のそばを離れて

私の知らない女を愛し、抱きしめ、キスをし、愛し合う

 

 

夢中で首を振る

 

私はきっと嫉妬に狂っておまえと共に果てるだろう…

 

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遠乗りにでたというおまえは

ちゃんと昼前に戻ってきた

 

馬を繋いで宿に入ろうとするおまえよりも先に宿の扉を開ける

 

おまえは扉を開けようとした手を下ろし

俺を見る

 

「時間通りだったな。奥様が奥でお待ちかねだ」

俺は言う

 

「あぁ…ありがとう…」

まじまじと俺の顔を見ていたおまえは急によそよそしい雰囲気をかもし出し

俺から目をそらす

 

…何かあったのか?

いつもとは違った雰囲気おまえに戸惑う

 

俺は旦那様に報告書を出さなければならないことを

奥様に伝えて寄宿舎に戻る

 

おまえは宿の主人に話があると言ったまま戻らない

 

「こんな時でなければ一緒に食べることもできないでしょう」

「夕食は是非ここに戻って食べるように」

奥様が言う

 

俺はおまえとの話を終えた宿の主人に礼を言って

一度寄宿舎に戻る

おまえは部屋に入ったまま出てこない

 

何だ?何があったんだ?

 

怒っている風でもなく

悲しんでいる風でもなく

呆れている風でもない

 

俺の脳みそが処理しきれないおまえの感情

出逢ってから今まで見たことのないおまえ

 

おまえは俺が宿にいることは分かっていたはずだ

おまえが留守にしている間、俺が奥様のそばにいることを知っていたはずだ

俺が宿にいたことに驚いているそんな感じではなかった

 

サファイヤの瞳が俺の瞳に映りこむ

開かれた瞳孔の中に俺が見える

 

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おまえは母上のわがままに快く応え

初めて夕食を共にしてくれた

 

パリの街でおまえと酒を飲みながら

簡単なつまみを食べたりしたことはあったけれど

こう、なんというかちゃんとした夕食を共にしたことはなかった

 

私は緊張していた

とても妙な気分だった

 

私はワインを飲みながらおまえの所作を眺めていた

何処に出ても恥ずかしくないようにしっかりと仕込まれている

ナプキンを持つ手、スプーンを運ぶ口元…

 

母上はおまえが食事を共にしてくれていることを

本当に、本当に心から喜んでいた

 

母上は、小さい頃から私とずっと一緒にいたおまえを

息子のように思

いつも私を守ってくれているおまえを誇りに思っているのだろう

 

母上の嬉しさが伝わって私も嬉しかった

 

おまえは昔話をして母上を笑わせる

私はそんなおまえを見て笑う

 

楽しそうに笑う母上とおまえを見ながら

私はこの旅の途中で母上から聞かれた

「夢」について考えていた

 

私には家督を継ぐという義務があった

私個人の欲求や欲望だけで生きていくことはできなかった

 

そんな私に夢…

 

私は、今までと同じようにいつまでもおまえと一緒にいたい

こうして一緒に笑ったり、泣いたり、感情をぶつけ合い

愛したり、愛されたりしながら営みを重ね

そして、おまえと共に一生を終えたい

 

それが私の夢…

 

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「ちょっと呑みすぎじゃないのか?」

 

夕食の片付けも終わり

奥様も宿の主人も後は宜しくと部屋に入る

 

俺はワインをしこたま呑んで

ちょっと目の据わったおまえに言う

 

「うるさい」

いつもの返事が返ってくる

 

あの昼間見たおまえとは明らかに違う

いつものおまえだ

 

遠乗りで疲れたのか

だいぶ酔いが回っているようだった

 

「私のことは…放っておいてよい」

「おまえも早く休め」

これもいつもの台詞だ

 

そういわれてもそうできないのが俺の性だ

テーブルの上でうつらうつらしているおまえを見て部屋へ促すがおまえは起きない

 

立つように促してもなかなか立たないおまえを

俺は正面から抱えあげる

 

「ほら、立って」

 

おまえは垂らしていた腕を俺の首に回す

 

俺の耳元で囁く

「部屋まで連れて行って…」

 

この酔っ払いめ

 

まだ小さい頃

時々、ばあちゃんにバレないように

俺の部屋で隠れて酒を呑んだおまえは

 

酔っ払うと部屋に帰るのが面倒くさくなって

俺にそう言ったことがあった

 

その頃は、体格も同じくらいで

抱きかかえていくのはさすがに無理だった俺は

おまえをおぶって部屋まで連れて行ったけれど

 

いまは…こうして抱きかかえて部屋まで連れて行ける

 

首に回した手は離れない

抱きかかえられて安心したのか俺の首筋に寝息がかかる

 

くそっ…無防備なヤツめ

俺は神にかけて誓った約束を破りそうだ…

 

おまえをベッドにそっと沈める

俺の首から自然と離れる腕に寂しさを覚える

 

今、おまえに触れたら自分を抑えられなくなりそうだった

シーツをかけて蝋燭の明かりを消す

 

「おやすみ」

そう言って部屋から出た

 

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酔っ払った私を部屋まで連れてきてくれたおまえは

何もせずに部屋から出て行った

 

神にかけて誓った約束を守っている

 

あんな約束

私はとっくの昔に忘れているのに…

 

と、言いたかったが言わなかったのは

あの時の記憶が身体のどこかに残っていたからかも知れない

 

おまえが男だったことをこの身体で認識させられたあの夜

 

おまえの気持ちを知った

そして怖かった

 

自分がどうなるのか分からなかった

それが怖かった

 

今、おまえを求めようとしている自分がいても

その先どうしたらいいのか分からない

逆におまえを傷つけてしまいそうで怖い

 

静かに見守ってくれているおまえに

この気持ちをどうやってぶつければいいのかも分からない

 

…素直になれない子供みたいだな…

そんなことを考えながら眠りにつく

 

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朝が来る

生まれ変わったような気持ちで目が覚める

 

この旅でおまえへの複雑に絡み合っていた感情が

少しずつ解き解れて整理されていく

 

…うん…

 

自分のうそ偽りのない気持ちに自分が頷く

目を閉じて胸の上に掌を置く

 

私は誓う、自分の心の赴くままに…

 

身支度をして部屋からでる

母上と共に宿の主人が作ってくれた朝食をいただく

 

最後の休暇は何をして過ごそうか考える

 

母上がこのロワールの風景をスケッチしたいという

刺繍の下絵にするのだ

 

母上を馬に乗せて小高い丘へと向かう

 

私はスケッチをする母上の横で

果てしなく広がる草原とブドウ畑と小さな村を眺める

母上はよほど楽しいのだろう筆が止まらない

 

芝の上に寝転ぶ

羊のような雲が風に乗って流れていく

私はいつの間にか眠りについていた

 

夢を見る

私は子供に戻っていた

隣には同じように子供に戻ったおまえ

 

濃い霧の中をおまえと手を繋いで歩いている

時々、おまえは私を見ながら何か言う

私は何も言わずにおまえを見ながら頷く

来たことのない道

なにを言っているのか分からないおまえ

でも、不思議と不安はなかった

この手と手が繋がっていから

 

霧の先に明るい光が差す

私たちはそこに向かって駆け出す

私が何かに躓く

それでもおまえはしっかり握った手を離さない

そのお陰で私は体勢を立て直しまた走る

 

霧を抜けて光の中に出る

まぶしさに手で光を遮る

おまえを見る

大人になったおまえは光を遮ることもなく

まっすぐに前を見つめる

 

「俺たちは光と影だ」

 

そう言って繋いでいた手を離すと

おまえは優しく微笑んで

私の背中を一歩押し出す

そしておまえは今出てきたばかりの霧の中に吸い込まれる

 

私は慌てておまえの手をとる

「そっちにはいくな」

 

おまえは私を光のほうへ振り向かせると

霧の中から私を抱きしめる

背中に感じる温かく大きな胸…

 

「俺はこうしておまえを守る」

おまえはそう耳元で囁く

 

私に絡みつく太い腕に触れる

この愛に包まれて私はいままで生きてきた

そして、これからもおまえはこうして私を守ってくれる

 

霧に隠されて姿は見えないけれど

こうしておまえが私を抱きしめているという事実に

私は安心する

 

…目の奥から光が差し込む

目が覚める

 

薄目で母上をみる

まだスケッチをしている

 

「…は…母上…」

私は起き上がる

 

「起きましたか?良く眠っていましたね」

「あの子が主人の作ったサンドウィッチを持ってきてくれましたよ」

 

おまえを探す

「どこに…?」

 

「置いてまた寄宿舎に戻りましたよ」

 

「そうですか…」

少しがっかりした

こんなのんびりした時間をおまえと過ごしたかった

昔、姉上のところへ行ったときと同じように並んで風を感じたかった

 

母上に言う

以前、問われた夢について私は考えていました

に代わる当主として立派に勤めを果たすことがまずひとつ

衛兵隊の隊員と共に職務をつつがなくこなすことがひとつ

そして、私に影のように寄り添って手助けしてくれる人とこれから先も今までと同じように過ごすことがひとつ

それが私なりの夢です

 

母上は満足そうに微笑んで頷く

「あの子は私の愛おしい娘をどんな時も何があっても守り抜くでしょう」

「そんなあの子に守られてあなたはあなたの務めを全うする」

 

「立派ですよ」

「二人とも、本当に立派ですよ」

 

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おまえはパリに戻ってきてから少し様子が変わった

いや…ロワールにいたときから微妙におかしかったが…

 

休暇開け、衛兵隊の朝礼でおまえの横顔を見る

隊員の様子を満足そうに見ながら微笑むおまえに

俺は初めて母性のようなものを感じた

 

アランが悲しみにくれていたときも

おまえは優しく静かに見守り、奴の戻りを待った

 

何かが変だ…

 

ロワールから将軍の隊と一緒にパリに戻る道中

俺はおまえの乗る馬車の後ろに着いていた

 

おまえは馬車の中から俺を見る

目が合うたびおまえははっとした顔をしてをそらす

そんなことが何度かあった

 

目をそらされるようなことをした覚えもないのだが…

避けられている感じでもなかった

 

なぜなら、休憩のたびにおまえは馬車を降りて俺の隣に座る

何をするわけでもなく、何を話すわけでもなく…そこには静かな時間が流れていた

 

あの日、アランの足音を聞き分けたとき

「おまえ…ずいぶん耳がよくなったな」

そう言われてはっとした

 

おまえ…まさか…俺を観察していのか?

 

何気なく外からおまえの執務室を見上げる

おまえ窓から俺を見ている

 

今まで影のように連れ添ってきたがゆえに

ここまでおまえの視線を感じたことはなかった…なかなかの居心地の悪さだ…

 

あの夜、疲れきったお前はソファにすわり目を閉じる

俺はいつものようにアジビラに書かれている内容をおまえに聞かせる

 

ふいにおまえの頭が俺の胸にもたれかかる

寝息が聞こえる

俺は…起こそうか起こすまいか迷いながら手をのばす

 

いきなり目を開き俺を見る

「もう…どこへも嫁がないぞ…一生…」

 

おまえは俺の目を見て言った

 

…知っているよ…

このベルサイユ中がおまえはもう誰とも結婚はしないと知っている

あの人以上の条件を持つ男がこのベルサイユにいるだろうか

どんなに待っても求婚者は現れることはないだろう

 

でも、おまえはあえて俺に言った

 

おまえの口から聞けたおまえの気持ちに

俺は涙が溢れた

 

そして、その一言を言ったきり

そのままおまえは安心しきった子供みたいに

俺の胸で眠っていた

 

「そろそろ起きて、ちゃんとベッドで寝るんだ」

 

かなり深い眠りについていたおまえはなかなか起きない

起こそうとする俺の腕におまえの腕が絡みつく

 

「…」

 

寝言か?何を言ったか分からない

まったく、仕方のない奴だ

 

「ほら」

おまえの両腕を掴む、うな垂れたままくにゃくにゃになって立たない

 

本当に疲れているのだな

おまえ寄り添ってやることはできても

おまえの疲れを代わってやることはできない

 

「…ベッドまで運ぶぞ」

一応、許可を得て抱えあげる

ロワールで抱えたときよりも軽くなったおまえ

 

おまえを静かにベッドに寝かせて

起こさないように慎重に軍服を脱がせる

心臓が高鳴り…手が震える

 

白い首筋が覗く

あぁ、俺はどうにかなりそうだ

 

シーツをかける

髪に触れ、その額にキスをする

 

「いいか?これはおやすみのキスだ」

言い訳にしか聞こえない

 

良く眠って、ちゃんと疲れを取らないと

このままではいつか身体を壊す

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私はなんて不器用なのだろう

 

愛している人に

愛して欲しい人に

愛していると言えない

 

精一杯の言葉が

「もう…どこへも嫁がないぞ…一生…」

 

なんて…

 

そんなことおまえは私に言われなくても分かっていただろう

こんな私が嫁に行ける筈がない

第一、こんな私を嫁に迎える家が何処にあるというのだろう

 

私の軍服を脱がせる手が震えている

私に触れるのが怖いのか

またあの時のように私に拒絶されるのが怖いのか

 

私の愛におまえがこたえてくれるのは

私の許しがあってからのことなのか

…もう、私はとうの昔に許していると言うのに

 

ベッドまで運んでくれたおまえ

私の寝言には気付かなかったみたいだ

 

「一緒にいて…」

 

そう言ったのに

おまえは私の額にキスをして

「いいか?これはおやすみのキスだ」とか

いい訳みたいなことを言って部屋から出て行った