1-12. 歌~Sarah~

ロワールに帰ってから1年が経っただろうか

 

教会にも行かず、唯一持ってきたヴァイオリンも弾かず

部屋に閉じこもり

毎日、ブドウが育っていくのをただただ部屋の窓から見つめていた

 

両親はそんな私を腫れ物にでも触るかのように扱い

パリで何があったのか何も聞いてはこない

 

ブドウの収穫も一段落したある日

ビュエ村にいたおじいちゃんが

自分の造ったワインを持ってやってきた

 

きっと、両親が私のことを話したのだろう

 

職人気質で普段から無口なおじいちゃんが言う

「サラ、パリで何があったのかは聞かないが」

「おまえはこのままこうして一生を終える気か?」

「パリに置いてきたものを胸に秘めたまま死人のように生きて一生を終える気か?」

 

 

うつむいたまま何も言わない私を見ておじいちゃんは続ける

 

「サラ、忘れろとは言わない」

「それがサラにとってどれだけ辛いものだったとしても忘れろとは言わない」

 

「…サラ、忘れることのできないその置いてきたものは」

「どれだけおまえが願ってもおまえの手には入らない」

「だとしたらその置いてきたものの為に、置いてきたものの代わりに」

「サラ、おまえがここで一生懸命生きることはできないか?」

 

”置いてきたもの“の為にここで一生懸命生きる…

 

私は、彼の言葉を思い出した

 

「…俺も…、俺もこんなところにいなければ」

「海の近い暖かくて小さな村で、馬を育てながら静かに暮らしたいと思うときもあるよ」

「サラのおじいさんみたいにワインを造るっていうのもいいな」

 

そんなささやかな願いさえも

叶えられない彼の為に生きる…

 

彼の為に私ができることは

彼の夢を私が叶えること

 

「…うぁ…」

堰が切れたかのように

とめどなく涙が溢れる

 

おじいちゃんの暖かい手が

私の打ちひしがれて小さくなった背中をさする

 

「今日は泣け。たくさん泣いて、明日から生きればいい」

 

彼はあの時全てを知っていて

パレロワイヤルにいる私の身を案じ手紙を書いた

彼が手紙を書いてくれたその瞬間、確かに彼は私だけのものだった

 

…それだけで十分…

 

目だけじゃない…自分の命さえも彼女に与える…どこまでも優しくて温かい人

私はそんな彼の夢を叶えるために、ここで一生懸命生きることを決めた

 

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アカシアとグリーングラスの香り…今年のワインも上出来だ

だんだん彼の香りに似てくるワインに私は上機嫌だった

 

遠くで蹄の音がする

こんな朝早くから馬を走らせるような人はここにはいない

 

「誰かしら?」

私は蒸留所の小さな窓を開けて外を見る

 

太陽を背にして走る馬と神々しいまでに輝く黄金の髪が

私の瞳の中に映りこむ

 

近衛連隊長!

 

私は思わず窓を閉める

 

…何で…何でこんなところに…

 

まさか、あの黒い騎士の件で?

まさか、もう5年も前の話なのに…

まさか、彼のこと?

まさか、彼がここを知るはずがない…

 

心臓がバクバク音を立てる、頭が混乱する

 

馬の足音が止まる

 

「どう…」

彼女の声

 

馬から下りる音

 

馬を繋ぎ、家主を探す彼女の気配が伝わる

「ごめんください誰かいませんか?」

 

 

私は天を仰ぎ瞳を閉じる

 

もはや逃げも隠れもできない

彼女がここを尋ねてきているのは明らかだった

 

私は平常心を保てるようにひとつ深呼吸をして

蒸留所の重い扉を開ける

 

ギィ…

 

 

「何用でしょうか?」

 

私の顔を見た彼女は、私を初めて見るはずなのに

なぜか懐かしそうな顔をして微笑む

 

私を捕まえに来たわけじゃなさそうね…

でも、私がどうしてここにいる事を知っているのかしら?

彼は一緒じゃないみたいだけど…こんなところまで一人で?

 

「サラ…?」

 

私は黙って頷く

 

…なんて美しいサファイヤの瞳

 

彼女に嘘やごまかしはは通じない

 

そう…彼女は気付いている

私が彼を知っていることに…

 

彼の何を話せばいいのだろう

彼の何を聞きたいのだろう…

 

彼のことはあなたの方が知っているでしょう?

本当に小さい頃から一緒にいたんでしょう?

 

お互い見つめあいなから何も言い出せずに時間だけが過ぎていく

 

「あぁ、そうだった」

切り出したのは彼女から

 

手渡されるヴァイオリン

 

とうさんの宿にいるのね

それなら、あのお喋りなとうさんから私がパレロワイヤルにいたことも聞いているわね

 

「父上から託だ、たまには家にも来るようにとのことだ」

 

すごい男言葉…この美女から発せられる言葉に

私は思わず笑いがこみ上げる

 

笑う私を不思議そうに見る彼女

 

「いえ、お見かけするところ女の方のような気がしましたもので…」

知らない顔をして言ってみる

 

「あぁ、そうだ、私は…女だ…」

 

パレロワイヤルにいた私があなたのことを知らないわけがないのに

その返しがあまりにも素直で私はつい噴出す

 

「父の宿にいらっしゃるの?」

笑いながら聞く

 

「あぁ、大変世話になっている」

 

…ねえ執事さん、彼女はとても素敵な人みたい

彼が惹かれるのも無理はないわね

そして、私も彼女のことを好きになれそうよ…

 

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目が覚める

 

日が昇り始めても朝もやが消えない

 

寄宿舎が宿から少し離れていせいか

やけに不安になる

朝食も摂らず急いで支度をする

 

ロワールはパリとは違って人も気候も温暖だ

 

間違いないと分かっていながら

足早に宿に向かう

 

宿に着くと馬が一頭足りないことに気付く

 

…まさか…

 

将軍からは「見つからないようについてゆけ」と言われていたが

もし何かあったのであれば、おまえを守るためについてきた意味がない

 

ドアをノックする

 

自分では落ち着いていると思っていたが

思いのほか強くたたいていたようだった

 

慌てた様子の主人が扉を開ける

 

俺の顔を見て言う

「だんな様、そう慌てなさらずに」

「朝食の準備をしておりますのでぜひお召し上がりください」

 

…俺が来るのを知っていたような顔

 

「主人、ここに宿泊しているものは…?」

 

主人が言う

「はい、奥様はまだお休みでこざいます」

お嬢様は…朝早くに遠乗りへ出掛けられました」

「昼ごろには戻られるとお約束なさいました」

 

遠乗り?こんな朝早くから?

 

…全く、おまえは…

少しは俺の身にもなって欲しい

心配で心配でこの身が引き裂かれそうだ…

 

「だんな様が来たら奥様にお通ししておくようにお嬢様から言われております」

「先に朝食をお召し上がりください」

寄宿舎で朝食も取らずにきた俺は

主人が用意してくれた食事を素直にいただく

 

ちょうど、食事を終えて片づけをしているころに

奥様が部屋から降りてくる

 

「あら、やっぱり付いてきていたのね」

あの子は?」

奥様が言う

 

「遠乗りに出掛けられたようです」

「代わりに私がここに…」

 

「あら、あの子に頼まれて?」

 

「…いえ…」

「私の任務は密かに見守るということだけです…」

俺がそう言うと、奥様は全てを悟ったように微笑みながら頷く

 

「ほほほ。あの人は本当に心配性なのね」

「あの子もあなたのことを本当に良く理解しているのね」

奥様が笑う

 

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彼女と二人、無言で小川に沿った道を歩く

 

知らない人が見たら

サラがすっごいイケメンと一緒に歩いてたって噂になるわ

 

ふふふ。

何だか面白くて笑いが止まらない

 

私の笑う理由が分からないまま

難しい顔をして歩く美しい人

 

彼女の

由緒ある家庭に生まれて育てられた気品

誰からも揶揄されることはないだろう美貌

素直で率直で純粋な心は生まれ持った資質

 

どこをどう輪切りにしても

どれだけ逆立ちして歩いてみても

私にはかなわない

 

彼を愛する度量、彼に愛される度量

全てを持っているあなた

 

何も話さず、ただ無言で歩く彼女

きっと、まだ心が定まらないのだろう

 

彼を愛しているのかどうか…

そして、きっとそれを確かめにここまで一人でやってきた

 

私は立ち止まる

ひとつ…深い息を吸って言う

 

「ねえ、とうさんから聞いたでしょ?」

「私パレロワイヤルにいたの」

いきなりの告白に彼女の目が見開く

 

「たくさんの男を見てきた…」

私のその言葉で、当時私の置かれていた状況を理解した彼女の目が悲哀に満ちる

 

「…良いこともあったの。あんなところでも」

彼女の悲しい眼差しから逃れるように言う

 

「私が彼に初めて会ったのはその年初めて雪が降った日だった」

「それまでの私は、強くて逞しいのが理想の男だって思ってたの…」

彼女のサファイヤ色の瞳が私を見つめる

 

「でも、彼に会って気が付いたの…本当に男らしくて頼りになるのは…」

「心優しく、あたたかい人だってこと」

…そして、影となり支えてくれる人だという言葉を呑みこむ…

 

私は正面を向いて彼女の手をとる

軍人とは思えない細くて長い指

 

「海の近い暖かくて小さな村で、馬を育てながら静かに暮らしたいと思うときもあるよ」

「サラのおじいさんみたいにワインを造るっていうのもいいなって…」

「そして彼は言うの…叶うなら…連れ去って行きたいと思うときはある」

「土台、無理な話だけどなって」

 

彼女の目が開く

私が言ったこの言葉を誰が言ったのか確信したように

 

「私は私なりに彼のことを愛していたのだけれどその想いは届かなかったの」

…どんなに頑張っても届くはずないわ…

「ロワールに帰ってきて死人のように暮らしてたときおじいちゃんに言われたわ」

 

「サラ、パリに置いてきたものの為に…その為だけに一生懸命生きることはできないか?って」

 

「そう言われて、私は彼が叶えられない彼の夢の為に生きていくことに決めたの」

「ここでワインを作って彼の夢を叶えていくの。私はにそれだけで十分

 

私がそう言いおわると彼女は静かに頷いた

柔らかい微笑と共に…

 

ふと、私は手渡されたヴァイオリンを持っていたことに気付く

5年ぶりにカバーを開ける

 

弦を弾く

ほどよく締まった弦

 

…誰か使ったのかしら?

 

私の顔を見て彼女が言う

「昨夜、私が拝借した…」

 

無言で彼女に微笑を返す

 

このヴァイオリンまで手懐けるなんて大したものね…

 

弦、弓、指…

全てが調和しないとこのヴァイオリンは唄をうたわない

私に似てとても気難しいヴァイオリンなのに…

 

私はヴァイオリンを構える

 

風が揺れる

 

…モーツァルト

賛美歌をあなたたちに贈る…

ラウダーテ・ドミヌム(主をほめたたえよ)…

 

Laudate Dominum omnes gentes

Laudate eum, omnes populi

Quoniam confirmata est

Super nos misericordia eius,

Et veritas Domini manet in aeternum.

Gloria Patri et Filio et Spiritui Sancto.

Sicut erat in principio, et nunc, et semper. 

Et in saecula saeculorum.

Amen.

 

主を讃えよ 全ての国よ

主を讃えよ 全ての民よ

主の慈悲と真は永久に私達を超えて力強い

父と子と聖霊に栄光あれ

始まりも 今も 永遠に世代を超えて

アーメン

 

彼女は曲に合わせて静かに口ずさむ

メゾソプラノの彼女の声は美しい

 

私は言う

「私からのプレゼントよ」

「大切な人と共に生きていくときの歌にしてね」

 

「…大切な人と共に生きて…」

そういいながらどこかを見つめて泳ぐ目が誰かを探している

 

「そうよ、いつもそばにいてあなたを守ってくれる人のためにね」

彼女がはっとした顔で私を見る

 

彼女はいつかきっと自分の気持ちに気付くだろう

身分の違いや世間の轢にも屈しないほど

真っ直ぐに彼を愛するだろう

 

前を向き静かに微笑む彼女

 

暫く私たちは静かに風を感じながら

小さな丘の上で佇んでいた

 

彼女は閉じた瞳をゆっくり開き

何かを決心したかのように私を見る

「もう、宿に戻らねば」

 

「そうね」

 

馬を繋いだ蒸留所へ戻る

水を汲む樽にワインが置かれてい

 

…おじいちゃん…

 

おじいちゃんって神様みたいね…

私は溢れ出る涙がこぼれないように上を向く

 

馬に跨った彼女にワインを渡す

「私が作ったワインよ。特別な日に呑んで欲しいの…特別な人と…」

「あなたも知っている香りがする上等なワインよ」

 

「…サラ、お前が逢いたいという人がいれば私が捜し出して…」

彼女の言葉を遮るように首を振る

 

パレロワイヤルから私を守ってくれた人

私には十分過ぎるほどの愛だった

 

「サラ、お前のヴァオリンは本当にすばらしい」

「お父上の為にも時々は教会へ行って弾いてやってくれ」

 

「ええ、そうするわ」

これからはあなたたちへの懺悔と祈りのためにヴァイオリンを弾くわ

 

「さあ!行って!」

 

馬のお尻を思い切り叩く

さようなら女神…永遠に…