1-10. 無~Sarah~

いつもの日々が過ぎていく

最後に彼に会ったのはいつだっただろう

 

気持ちばかりが高ぶって想像ばかりが膨らむ

 

次に会った時、どんな話をしよう

いつも突然訪れる彼に変な姿は見せたくない

ヘアスタイルも気にしなきゃ

彼に見合うような女性になりたい

 

彼のことばかり考えてる…こんな私が恋なんて…

 

でも、こんな自分をばかばかしいとは思えなかった

イザベルの気持ちが今なら分かる

 

あの時は分からなかったけれど

あの男のことを死ぬほど好きだったのね…

 

遠くで執事が私を呼んでいる

「どうされましたか?」

 

「ああ、サラ、探したよ」

「急用があって、グルネル・サンジェルマン通りまで使いに行ってくれないか」

 

「えぇ、喜んで!」

 

用事を済ませて通りに戻る

久しぶりの外出に心が躍る

仕事に戻るにはまだ時間がある

新しい髪飾りを買いに行こうか

 

壁を抜ける

ふと…左を見た

 

近衛隊の駐留所にいる見覚えのある長身の男

目を凝らして見る

 

…彼だ!

こんなところで会えるなんて!

 

久しぶりに見た彼の髪が短くなっている

今までよりも男らしく、逞しく見える

 

気付かずに通り過ぎるところだった

 

駐留所の門前に立つ彼に声をかけようと手を挙げる

 

 

その瞬間、彼の向こう側から現れた美しい金の髪

 

完全に彼に隠されていた

彼よりも一回り小さいその身体

 

そして…彼はその人を見て微笑みながら言う

 

「神と剣」

 

「…神と剣…」

血の気が引いていくのを感じる

心臓がもがれそうなほど激しく打つ

心が震えて泣くつもりもなく涙が溢れ出る

 

私は走り出していた

 

気付いたら

戻るはずのパレロワイヤルではない

自分のアパルトマンのドアの前にいた

 

泣きながら部屋に入る

ベッドに伏せて嗚咽を押し殺す

 

ずっと泣いていた

もうこれ以上涙なんて出ないくらい

ずっと…

 

泣いても泣いても心がまとまらない

無理やり犯されても出なかった涙が

不思議なくらい溢れ出る

 

…どれくらい泣いていたのだろう…

 

誰かがドアをノックする

 

くちゃくちゃな顔でドアを開けると

そこに執事が立っていた

 

使いに出たまま帰ってこない私を

心配して尋ねてきたのだと言う

そして、その道すがら彼とすれ違ったことも…

 

執事はため息を一つついて私に言った

「サラ、おまえは大丈夫だと思っていたんだがな…」

「恋をしてはいけない人に恋をるのは女の定めなのか?」

 

私は何も言い返せない

 

「あの方が貴族ではないことはおまえも分かるね?」

 

私は無言で頷く

 

「あのお二人は…」

「私の知る限り、ほんとうに小さい頃からまるで兄弟のように一緒に過ごされていたのだよ」

 

「あの方は、平民でありながらも貴族のお屋敷へ出入りし」

「時には王妃様からの特別な用事を受けられるほどの人だ」

「近衛連隊長の手となり足となり、まるで影のように寄り添っているのだよ」

 

…そうだ…

 

あの赤い軍服に身を包んだ

女神のように美しいあの人を

このパリの社交界で知らない人はいない

 

それなのに

そんな人の一番近くにいたあなたのことは知らなかった…

 

「あなたは影なのね…だから気付けなかったのね…」

そう思ってまた涙が出る

 

「サラ、私は思うのだよ」

執事が言う

 

「もし、あの方の想いが届いたとしても、お二人はきっと永遠に結ばれることはない」

「あまりにも身分が違いすぎるからね」

 

「それでも、あのお二人は未来永劫離れることはできないと思うのだよ」

 

「サラ、運命とはそういうものだと思わないか?」

 

分かる…分かるわ

小さく頷く

 

そう、あの二人を見たときに

私は完全な敗北感を味わったの

 

決して割り込めない二人の絆

お互いがお互いを求めていることに

まだ二人は気付いていない

 

でも、私には分かる

 

あぁ、お願い…幸せになって…

いくら身分が違うからといって

幸せを掴めない理由にはならない

 

そんな私を見て執事は静かに微笑む

「今夜は休みなさい、その顔ではとても仕事はできない」

 

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ベッドに横たわる

あの初めての夜を想う…

 

もう一度、その柔らかい黒髪に触れたかった

もう一度、その優しい手で包んで欲しかった

もう一度、その逞しい腕で抱きしめて欲しかった

 

でも、もう二度と叶わない

 

果てた瞬間、あの人の名前を口走ったあなた

あの人の代わりに抱かれていた私

 

おやすみのキスさえもしなかった

唇はあの人だけのものなのね

 

やりきれない想い

振り払うように寝返りを打つ

 

ふと、テーブルの上に置かれた手紙が目に入る

 

執事が部屋を出る前に置いていった

パレロワイヤルに届いた私宛の差出人のない手紙

 

白い封筒を開ける

 

~親愛なるサラ~

 

見覚えのある文字

それは私が愛した彼の文字…

 

できるだけ早くパレロワイヤルを出て

おまえの帰りを待っている家族の元へ行け

 

なぜ出て行けというの?

理由もなく…

 

よく言えば何かを悟ったような

悪く言えば何かを諦めたような

そんな彼の横顔を思い出す

 

なぜか、とても嫌な予感がした