1-8. 私~Sarah~

あの日、パレロワイヤルで

自分の瞳と同じ色をした彼を見たとき

私は初めて運命という言葉を信じた

 

まだ、景気の良かった頃は

あちこちの舞踏会から声がかかっていたけれど

ここのところの不景気で最近は仕事を探すのにも苦労する日が続いた

 

自分の夢を叶えること、その我儘の為に

一生懸命お金を貯めてヴァイオリニストになる夢を叶えてくれた

そんな両親に弱音を吐くことはできない

 

ヴァイオリン辞めて別の仕事でも探そうかな…

 

そんなことを考えていた矢先

同じ楽団でチェロを弾いていたイザベルから

いい小遣い稼ぎになると聞いて紹介を受けたのが

パレロワイヤルでの演奏だった

 

最初はイザベルから聞いていた通り

談笑したり、熱い討論を交わす男たちの後ろで

音楽を奏でていた

 

生活には困らないほどの報酬の他にも

男たちの機嫌次第ではチップをもらうこともあった

 

イザベルの羽振りが良くなったことに気付いたのは

パレロワイヤルに通い始めてから2ヶ月ほど経っていたある日

 

「ねぇ、サラ」

「このドレス、素敵でしょ」

新調したドレスを着たイザベルが言う

 

「イザベル、あなたそんなもの買う余裕があるの?」

 

生まれ育ちはパリだが生活環境は自分とあまり変わらないはずのイザベルが

新調したばかりのドレスを私に見せびらかす

 

「イザベル…あなたひょっとして…」

 

誘われる前からあまり言い噂のなかったパレロワイヤル

 

貴族が遊び半分で愛人を探しに来ているとか

屋敷の一角には娼婦がいる部屋があるとか

 

「分かる?私、パトロンがいるの」

「一晩一緒に過ごすだけでドレスが買えるなんて夢を見てるみたいよ」

何の悪びれもなくイザベルが言う

 

まだ嫁入り前の娘がトロンだなんて

いくら貧しくてもドレスの為に身体を売るなんて

 

家族に苦労させて好きなことをしているのに

自分の欲求の為に身体を売るなんて

 

「イザベル…なんてことを…」

私は自分の身体が震えるのを感じる

 

「ねぇサラ、あなたに紹介したい人がいるんだけど」

 

そう言って私の腕を掴むイザベルの手を払いのける

 

「わたし、そういうの興味ないから」

「今の生活で十分満足よ」

軽蔑と戒めと怒りを込めてイザベルに言う

 

「そう、残念ね。まぁ、その気になったらいつでも言って頂戴」

 

その言った時のイザベルの含み笑いに

私は気付かなかった

 

あの日、いつものように演奏を終えて

帰り支度をしていた私に男が声をかける

 

「今日の演奏も良かったね、一杯どう?」

振り向いたそこに見慣れた顔があった

 

「あぁ、ありがとうございます」

ワイングラスを受け取る

 

よく見かける顔…名前は知らないけれど

 

いつも演奏が始まる頃に23人で来ては

静かにワイングラスを傾けて、演奏が終わると静かに帰っていく

 

実に地味な印象の男

 

「立ったままでは疲れるでしょう?

促されてソファに座る

 

「好きな楽曲がおありなんですか?」

私は社交辞令として一応、聞いてみる

 

「僕?僕は特に…それよりもワインをどうぞ」

 

注がれたワインがいつもより美味しそうにみえた

演奏後の渇いた喉を潤すにはもってこいのワインだ

 

私は、注がれたワインを飲み干す

 

そして…気付いたとき、私はベッドの上にいた

 

どうしたのだろう…身体のあちこちが痛い

裸のまま横たわる私の横にさっきの男が言う

 

「よく暴れたもんだ」

 

自由が利かない身体

ワインに何か入っていたのか…

 

「でも、やっぱり生娘は良いな」

薄笑いする男の顔

 

私はその一言で全てを悟り、そして、全てを失った

 

 

夜が明ける

 

男は再び私を欲し

事が済むと枕元に金貨を5枚投げ捨てて言った

「今夜のお駄賃だ」

 

自由の利かない身体が震える

涙が溢れて止まらない

 

このまま死んでしまいたい

私は…空っぽになった

 

昼近くになってようやく動けるようになった私のところに

イザベルが来て言う

 

「どうだった?」

そう言いながら薄笑いを浮かべるイザベルの顔を見て思う

 

…あぁ、うかつだった

私は友達だと思っていたあなたに一杯食わされたのね

 

「別に…」

イザベルに自分の心の内を悟られないように

悔しくて、苦しくて、叫び狂いたい感情を必死で抑えた

 

「そう、良かった」

イザベルは悪びれる様子もなく言う

 

「今夜も頼むって」

 

拒絶したかった

 

でも、自分でも呆れるほど断る理由が思い浮かばな

 

ここをクビになれば、いずれ仕事も無くなり住むところにも困るようになるだろう

私は一生懸命働いてパリに出してくれた両親のためにも無一文で田舎に帰るわけにいかなかった

 

生きていくためにはそれしか方法がなかった…

 

それからその男の名前も素性も知らないまま

交渉をしてはその都度それなりのお駄賃をもらう日々を送っていた

ここで演奏して得る収入よりも割りは良かった

 

その頃には、少しでもお金を貯めて

早いうちに両親のいる田舎に帰ろうと思えるようにもなっていた

 

目を閉じてその時間を耐えていれば良かった

勝手に男が果てるのを待っていれば良かった

 

「…簡単なことよ…」

愛も快楽も何もないただの交渉

 

あれから弾かなくなったヴァイオリンが

棚の上で私を静かに責めていた…

 

また、いつものように男を待つ夜

 

ドアを開ける音

 

わざわざ振り向く必要もない

勝手に男の手が伸びてくる

 

か細く、冷たい手が私に触れる…

「イザベル?」

 

振り向いたそこに泣き顔のイザベルがいた

 

「イザベル、どうしたっていうの?」

「なんで泣いているの?」

 

「…サラ…私…こどもができたかもしれない…」

 

「イザベル、良かったじゃない。泣くことなんてないわよ」

「これで本当の愛人に昇格できるわね」

私にはイザベルにとって本当に喜ばしいことなのかどうかなんて

正直どうでもよかった

 

そもそも私を嵌めた女だ

 

前からイザベル

「彼が、こどもができたら愛人にしてくれるって」

って自慢げいうから、何気にそう言っただけだったのに

 

「彼が…こどもはいらないって…」

「面倒だからこどもはいらない。もうお前もいらないって」

 

…そうだよイザベル、やっと気付いたの?

私たちはそういう存在なの

 

あいつらは上手いことを言って

戯言で夢を見させては女を奉仕させるのよ

こどもができたら捨てられるのは恋に溺れたバカな女

 

ここにいる限り

いくら好きな男に抱かれてもその男の愛は死んでも得られない

 

「…で、どうするの?」

私の問いかけに何も答えず

焦点の定まらないイザベルの瞳から涙がとめどなく溢れる

くやしさのあまりかみ締めた唇から血がにじむ

 

「…もう…行くわ…」

 

ふらりと立ち上がったイザベルが振り返りもせずに言う

「…また…あした…」

 

イザベルが身を焦がすほど愛した男は

私を毎晩弄ぶ男の友人だ

 

いつも演奏が終わるとイザベルを誘って寝室へ向かう

 

「下種が…」

その様子を見て私はいつも心の中で叫ぶ

 

ここに来る男たちは自分の欲求を満たしたい、ただそれだけで

自分の快楽の全てを女の中に残して去っていく

女の痛みも、苦しみも、愛さえも分かち合おうとせずに…

 

結局、用なしになった女は

こうしてあっけなく捨てられる運命なのだ

 

「…イザベル」

 

早いうちにパリのご両親の元に戻って

子供を育てながら教会に通い平凡でも幸せな毎日を送るイザベルを想う

 

守るべきものがあるなら何があっても強く生きられる

 

イザベル、今日だけはたくさん泣いたらいいわ…

 

そして、私のもとには

いつものように男がやってくる

 

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明け方、けたたましい叫び声と共に目が覚める

 

私は、隣に寝ていた男を叩き起こし

一緒に叫び声の主の元に向かう

 

部屋の掃除にきたメイドが腰を抜かして動けずにいた

 

「ひっ…」

声を上げたのは、さっきまで私の隣で寝ていた男だった

 

部屋に入ってすぐのベッドの上にいるイザベルは

壁にもたれて座ったまま目を見開き

小さな銀の剣を自分の心臓に突き刺して

 

果てていた

 

いつもこの部屋であの下種と愛を重ねていたイザベル

自分の中に宿った愛すべき命と共に果てたイザベル

欲望のままに彼を愛し、裏切られ、果てたイザベル

 

イザベル、あなたが死ななければならなかったのは

きっと、この時代のせいよ…私にはやりきれない想いだけが残る

 

「彼女のご両親はパリにいます。連絡先は所属してた楽団が知っていると思います」

イザベルのことを尋ねる執事に後を託す

 

私の知っていることはそれだけ

 

誰と情を重ねていたとか

こどもができたから捨てられたとか

余計なことは言わない

 

イザベルの為に、そして、自分の為に…

 

それからは、ばつが悪くなったのか

毎夜私の元に通っていたあの男も、イザベルの男も

パレロワイヤルではみかけなくなった

 

私は自由になったけれど

それでもヴァイオリンを弾く気にはなれず

かといって働くあてもなく結局、パレロワイヤルで雑用をこなしながら過ごしていた

 

ある日、「この娘は口が堅い」と執事が薦めてくれたおかげで

パレロワイヤルを訪れる客のレセプションを担当する仕事をもらうことができ

 

レセプションを担当すると、ここを訪れる客が

何処の誰か、なぜここを訪れるのか何となく理解できた

 

色情男、ただの酔っ払い、ペテン師…etc.

みんな死ねばいいと思える…実に最低な男の世界