1-7. 守

「パリからいらっしゃったのですか」

しかし、最近のパリはえらい物騒になったもんですね」

 

荷物を運び入れながらこの宿の主人がつぶやく

 

「せっかくここまでいらしたのであれば、このままこの地に腰を据えられてはいかがですか?」

 

私たちが貴族だということ

代々王室を守り、軍を率いる伯爵家であるということ

そもそも私が衛兵隊の隊長であることを知らない主人がいう

 

「しかしまた、お嬢様はなんで男みたいな格好をしていらっしゃるんですか?」

よくしゃべるオヤジだ

 

「あぁ、女二人では道すがら物騒なことがあればと思って用心したまでのことだ」

「こんな格好をしていればまさか女だとは思うまい」

もっともな返答をする

 

「そうですか、また妙にお似合いで」

主人はニコニコ顔で上から下まで何度も私を見る

 

…それもそうだろう

毎日こんな格好だ、私にしてみたら似合う似合わないの問題でもない

 

まあ、客観的に考えれば

いい歳をした女が男みたいななりをして母親と二人旅

 

不思議に思われても無理はない

 

今までの宿で何も聞かれなかったのが不思議なくらいだ

いや、敢えてなにも聞かないことにしてくれていたのだろう

 

「ここのオヤジと話すと何だか調子が狂うな」

ボソッとつぶやく

気を遣わない、正直で気さくなオヤジ

 

時々出てしまうわたしの「お偏屈」な顔を見て

母上が笑いながら部屋へと誘う

 

南向きの日当たりの良い部屋

窓辺の棚の上にあるヴァイオリンに目が止まる

 

誘われるように手を伸ばす

 

”キィ“

 

調律は…大丈夫そうだ

主人の趣味なのか

よく使い込まれたヴァイオリン

 

モーツァルト 第21番 第2楽章を奏でる

 

久しぶりの音色に心地よさを覚える

気付けば母上が部屋に入って音色に耳を傾けている

 

「母上…申し訳ありません。つい、夢中になってしまいました」

「何か用でもありましたか?」

慌ててベッドの上にヴァイオリンを置く

 

「続けてください、音色に誘われてやってきただけです」

「久しぶりにあなたのヴァイオリンを聞いて心が洗われましたよ」

 

…コンコン…

弾き終わったことを確認したかのようにドアをノックする音

 

「奥様、お嬢様…失礼いたします。お食事の準備が整っております」

主人が言う

 

「あぁ、すぐ行く」

「…主人、このヴァイオリンは主人のものか?」

私は、お世辞にもヴァイオリンを弾くようには見えない主人の手を見る

 

「いえ、娘の物です。今は使わないものですのでお好きなだけお使いください」

「しかし、お嬢様の腕前も相当なものですね。そのヴァイオリンを美しく奏でることができるとは…」

 

そう言った主人の顔少し寂しそうに見えた

 

「…娘さんは…?」

聞いてはいけない気もしたが思わず口に出る

 

 

しばしの沈黙の後、主人が口を開く

「お食事が冷めてしまいます。娘の話はお食事の後でも宜しゅうございますか?」

 

やはり聞いてはいけなかったのかもしれない…

うん…そうさせていただこう…」

 

食事は実にすばらしいものだった

主人が射止めたという鹿のローストは絶品だった

狩が趣味だと言うだけのことはあって、宿の中には剥製がたくさん飾られている

 

食後のワインを頂きながら主人に言う

「この辺りのワインは何を頂いても本当に美味しいと思える」

「特に、この白ワイン…」

どこか懐かしい香りがするのだが…

 

主人が誇らしげに笑う

「このワインは娘が作ったものです」

 

「娘さんが!?

 

葡萄摘みの娘なら話はわかるが

女がワインを作るとは

 

「…私の娘は小さい頃からヴァイオリニストになるが夢でして」

 

「父親としてはできる限りのことをしてあげたいと思うものです」

「ヴァイオリンを本格的に学べる場所といえばやっぱりパリですが、何しろ学費がかかりますから」

「私は稼いだ金を娘の為にと思って少しずつ貯めていました」

 

私たちのために一仕事を終えた主人にもワインを勧める

もちろん、大切な娘が作ったワインを

 

主人は続ける

「娘は希望通りにパリの音楽院でヴァイオリンを学ぶことができました」

「日曜日は教会へ、他の日は舞踏会や貴族様のパーティーで演奏していたようです」

 

「…でも…」

主人の口調が変わる

 

「パリのベルサイユにあるパレ何とかというところに呼ばれて演奏していた時に…」

 

「パレ?」

パレロワイヤルのことか…?

 

「えぇ、そこで出逢った若者に心奪われ、思いを寄せていたようでしたが」

「結局、実らなかったようで5年程前にこの村に戻ってきました」

 

「よっぽど悲しい別れをしたようで…1年ほどまるで腑抜けのように生活していました

「私もどうしたものか思い悩んでいたところ娘がある日突然私に言ったのです」

「とうさん、私は誰とも結婚はしない。これからはおじいちゃんのところでワインを作って暮らすわ。と…」

 

5年位前…黒い騎士事件の頃…

 

確かに、あの頃のパレロワイヤルの内部は完全な男社会で

本気で論争を交わしているごく一部の人間以外は

一晩を過ごす女を求める色情に狂った男ばかりが集まる…そんな場所だった

 

いくら腕のいい演奏家だとしても

あそこにいる男たちから見たら女は所詮ただの女だ

 

彼女の儚い夢を奪ったであろうその会ったこともない男に

やり場のない怒りを覚えながら主人に尋ねる

「…その若者というのは…?」

 

「…それが…誰が問い詰めても何処の誰だか…絶対に口を割らないのです」

 

貴族か…いや、今思えばベルナールのような平民も出入りしていた

あの頃出入りしていた者なら、調べようと思えば調べられる

 

「娘は今何処に?」

 

「ここから少し離れたビュエ村におります」

 

腑抜けのようになるほど愛していた男を簡単に忘れることができるのだろうか

 

そして、私は不思議な胸騒ぎを覚える

娘にどうしても会って話がしたい…なぜかそう思った

 

ビュエ村までは馬を走らせれば1時間ほどで到着できる

おまえが近くにいる限り、私が少し留守にしたとしても母上の身は安全だろう

 

気を取り直して言う

あのヴァイオリンでもう一曲弾きたいのだが…」

 

モーツァルト

アイネ・クライネ・ナハトムジーク

私の気持ちを落ち着かせてくれる曲…

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

俺は寄宿舎に荷物を預けおまえのいる宿に戻る

暗闇に紛れておまえを見守る

 

空を見上げる

満天の星空、黄金色に輝く月

そして…ヴァイオリンの音色が聴こえる

 

モーツァルト…おまえが弾いているのだろう

 

壁にもたれかかり

そっと目を閉じて奏でに身を委ねる

 

…あの日のことが蘇る…

 

パリの留守部隊へ行く途中

暴民に襲われた記憶

 

必死に俺を守ろうとするおまえが

暴民の渦の中に消えて

俺は後ろから殴られて気を失った

 

意識が戻ったのは馬車の中だった

薄く右目を開くと

 

おまえは泣いていた

俺の手を握りしめながら自分を責めている

 

泣くな…おまえが無事でよかった…

 

俺は気付かなかった振りをしてまた目を閉じた

 

おまえと俺のボロボロの姿を見て

狼狽するおばあちゃんを横目に

 

俺は部屋に運ばれるまで

意識が戻らない振りをしていた

 

「フェルゼンが助けてくれた」

おまえはおばあちゃんに言っていた気がする

 

あの人は…おまえに危険が迫っているときに

いつもなんの下心もなく助けにきては去っていく

 

無防備なおまえの心に風穴を開けて…

 

あの人に会った日のおまえに接するのは辛かった

「心、ここにあらず」

 

でも、いつだろう

あの人報われない恋長い間耐え忍んでいことを知り

おまえ叶わない恋だと分かっていながらあの人へ想いを寄せていたことを知った

 

あの人はおまえにとって理想の”騎士“だったのだろう

俺が願ってもなれなかったおまえの”騎士“…

 

「…月もひとり…俺もひとり…か…」

つぶやいて寄宿舎へ戻る

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

朝もやの中、馬を走らせる

 

出発前、主人に言付ける

「私が出掛けた後、片目の男が尋ねてきたら母上に会わせてやってくれ」

 

「かしこまりました」

「お嬢様、娘に会いましたらこれを…」

そう言って主人は私にヴァイオリンを手渡す

 

「あぁ、必ず渡そう」

「…で、娘さんの名前は…」

 

「サラです」

「たまには戻ってくるように伝えてくださいませ」

 

うん、分かった」

 

黒い瞳に黒い髪…まるでおまえのようだ…

サラの容姿を主人から聞いて思った

 

小さな丘に群がる同じ色の家

広がるブドウ畑

 

来たこともない場所になぜか懐かしさを感じる

それは、きっとこの風に運ばれてくる香りのせいだ…サラの白ワインの香り…

 

もう、1時間ほど走っただろうか…

サラはもうそこにいる

妙な確信があった

 

まだ人を訪ねるのには時間が早い

馬を少し休ませよう…

 

小さな小川が流れる芝の上に腰掛ける

柔らかい風を肌に感じる

 

私はそっと目を閉じて5年前の記憶を蘇らせる

 

真夜中不意に目が覚める

部屋に入る美しい月明かりをベッドの上から暫く眺める

 

ベッドから起き出して窓を少し開ける

今と同じ風を感じる

 

中庭に人の気配…目を凝らして見つめた先におまえがいた

噴水の傍の石垣に腰掛けている

 

こんな時間にご帰宅か

一体、何処行っていたのだ

 

ここ最近、夕食の片付けが済むと

おまえの姿が見えなくなるときがある

 

いつもおまえが部屋まで運んでくれるショコラをばあやが運ぶ

 

ちょっとした用事を頼もうとあちこち探していたら

 

「あれにも用事はあるだろう」

「こんな時間だ、たまにはあれの好きにさせてやれ」

と、含み笑いをした父上に諭される

 

父上はおまえの行き先を知っているようだった

 

私はまだ心が幼くて…というよりは”疎くて“

 

あの頃は知らなかったのだ…

私の知らない男の世界があることも

私の知らない男の時間があることも

 

身体ばかり女になって心がついていかない矛盾と葛藤

おまえばかりが男になっていく喪失感

 

身長もいつの間にかおまえに追い越され

肩も腕も手も足も、全てが私より大きくなり、強くなり

もう全力でおまえにぶつかっても、もがいても

力ではおまえにはかなわない…

 

それでも若さゆえに

勢いだけでどうにかなると思っていた頃

 

そうだ、おまえの成長を確信したあの頃から

私はおまえを男だと意識するようになったのだ

 

日々、逞しくなっていくおまえを

気付かないうちに頼りにし、頼もしく思っていた

 

もともと気楽で朗らかな性格で、誰に対しても嫌味なく接し

平民でありながら宮殿に出入りしいつも私と行動を共にするという

特殊な環境で育ったおまえは

 

身分も性別も分け隔てなく誰とでも対等に付き合う術を磨き

会話も知識も立ち振る舞いさえも何処に出ても恥ずかしくないほどに学び

 

世間を知るうちに、寡黙で誠実で

どんな屈強な騎士にも負けないだろう

私だけのすばらしい騎士になっていた…

 

あの頃、パレロワイヤルにいたサラは

あの頃のおまえを知っているような気がする

私の知らないおまえを…

 

確信は持てない…私の直感だ…

女としての直感…

 

そっと目を開けて深呼吸をする

丘の向こうに小さな蒸留所が見える

 

さぁ、サラに会いに行こう…