1-6. 星~Simon~

まるでそこだけが森の中にあるような小さな宿に到着する

馬車から降りると小さな男の子が出迎えてくれた

 

栗色の巻きにブルーの瞳屈託のない笑顔に引き込まれるように

私は膝を折り、男の子の目線に合わせて尋ねる

 

「きみ、年は?」

8さいだよ」

 

「名前は?」

「シモン」

 

シモンの小さな手が膝の上の私の手を掴む

「僕の秘密基地教えてあげる」

そう言うと力強く私の手をひく

 

母上はその様子を微笑みながら見守る

 

シモンに連れて行かれた場所は

宿の裏庭にある大きなブナの木の下

 

見上げるとそこには小さなツリーハウス

…と言うよりは床だけのツリーハウスだが…

 

「…シモン…まさかあそこまで登るのか?」

 

「そうだよ秘密基地に行くには登らないと!」

そう言うとシモンは手馴れた様子でスルスルと登っていく

 

登りきったシモンが私を急かす

 

「早くここまで来て!」

 

木登りなんて何年ぶりだろう

果たして今の私に登れるのか…

 

登りやすいようにところどころ削られたブナの木

枝から下りるロープにつかまりながら

手をかけ足をかけ…私は何とか登った…

 

登ったのは良いが…果たして降りられるのか…

そう思いながらシモンの横に腰掛ける

 

どこまでも続くブドウ畑が目の前に広がる

パリの喧騒など微塵も感じない穏やかな空気

 

シモンが私の顔をまじまじと見ながら言う

「ねえ、お兄ちゃんなの?お姉ちゃんなの?」

 

シモンが不思議に思うのも無理はない

「私か?」

「ふふふ。お姉ちゃんだよ、シモン」

 

「やっぱり!」

笑顔のシモンが続ける

「あのね、お姉ちゃんの匂いがママンと一緒なんだ」

 

「ママンと?」

 

「…ママンは僕が4歳のときに死んじゃったんだ」

「僕…顔はあんまり覚えてないけど匂いは覚えてるんだ」

遠い眼で一点を見つめるシモン

 

「匂い?」

私は無意識に手を伸ばし、シモンの頭を撫でる

 

「うん、匂い」

そう言ってシモンは黙り込んだ

 

あぁ、私はこの子の悲しい思い出を引き出してしまった…

不安になってシモンの顔を覗き込む

 

シモンは不意に顔をあげると

小さい両手を伸ばし

何の躊躇もなく私の胸に飛び込んできた

 

「…うん、この匂いだよ」

花みたいに甘くて優しい匂い」

 

「…シモン…」

私は胸の中にいるシモンを思い切り抱きしめた

 

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夜食をいただきながら

シモンの父親でもある宿の主人と話す

 

シモンの母親はシモンが4歳の誕生日を迎えてすぐに

熱病に罹りあっけなくこの世を去ってしまったこと

 

母親がいなくなってから

我侭も言わず泣かない子供になってしまったこと

 

毎夜、部屋を抜け出してさまよい歩くこと

 

「夢遊病か…母親を探しているのだな…」

 

私はシモンの為に何かできることがないかと考える

 

シモンは母親が自分のそばにいないことは理解できても

ひょっとしたらどこかにいるのかもしれないという

儚い思いをもっているのかもしれない

 

まだ本当に「死」というものを理解していないシモン

 

…一芝居うってみるか…

 

シモンから母親への思いを聞くことができれば

悲しみを堪えて頑なになっている心を解きほぐすことができるかもしれない

ともすれば、夢遊病が収まる可能性もある

 

シモンが眠りについたのを確認して私は身支度をする

 

シモンの母親のフリをするためにドレスが必要だったのだが

私の身の丈に合うものがここにあるとは到底思えない

(そもそも、私がシモンの母親に似ているとも思えないのだが…)

 

母上に繕ってもらいながらベッドシーツを利用してドレス風に仕立てる

 

母上はとても楽しそうに言う

「あなたにまたドレスを着せる日が来るなんて」

「しかも、私が繕ったドレスを着るなんて」

「母親としてこれほど幸せなことはないでしょうね」

 

あの日のドレスとは全く違うけれど

さすが母上、それなりに見えないこともない

 

「お父様に見せたら卒倒するわね」

母上が笑う

 

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シモンの部屋のドアをそっと開ける

 

ギィ…

 

ドアがきしむ音にシモンが寝返りを打つ

 

「…だあれ?」

音に気付いて眼を覚ましたシモンが言う

 

「シモン」

私はできるだけ優しく余所行きの声でシモンの名前を呼ぶ

 

「…ママン?」

シモンは目をこすりながら上半身を起こす

 

儚げな月明かりを頼りに私はシモンに近寄る

 

小さなベッドの縁に腰掛けてシモンの頭を撫でる

 

「シモン、長い間一人にしてごめんなさい」

 

「ママン…」

寝ぼけて私をママンだと思い込んでいるシモン

 

「ママン、僕、ずっと探してたんだ」

「探したら会えるかもしれないって思ってたから」

「だから、ツリーハウスを作ってもらって高いとこからも探してたんだ」

 

私は窓の外にある月の横にひときわ輝く星を指差して言う

「シモン、ママンはあそこからずっとシモンのことを見ていましたよ」

 

「お星様…?」

 

「そう、お星様」

「シモン、ママンはあそこからいつもシモンのことを見ているのですよ」

 

「…」

星を見つめるシモンは黙り込む

 

「シモン?」

 

さすがにこの手は子供じみていたか…私はシモンの顔を見つめる

 

「ママン、一人で寂しくない?」

 

「…寂しく…?」

 

僕、ママンがいないのはとても寂しいけれど」

「ぺペールがいつもそばにいて守ってくれているよ」

 

「お父様が?」

 

「うん、ぺペールは男として強くたくましく生きていくこと僕に教えてくれる」

「…時々、ママンの匂いが恋しくて泣いちゃうこともあるけれど…」

 

「僕にはぺペールがいるけど、ママンには誰かいるの?」

「あのお星様にはママンを守ってくれる人はいるの?」

 

シモン…なんて心優しい子なのだろう

誰よりも寂しいのは自分自身のはずなのに…

あの星に一人ぼっちでいる母親のことを心配しているのだ

 

私は諭すようにシモンに言う

「シモン、ママンは少しも寂しくはないのです」

 

「ママンの願いは、毎日シモンがお父様と共に仲良く暮らしていること」

「毎日、シモンが何かを覚え、何かを学び、何かを愛しむ気持ちを育てること」

「毎日、シモンが成長していくこと」

「そして、毎日、シモンが笑っていること」

 

「それだけがママンの願いです」

私の言葉に耳を傾けるシモンが頷く

 

「うん、わかったよ」

「ママンが寂しくないなら僕も寂しくないよ」

 

ねぇ、ママンも一緒にベッドに入って」

私の言葉に納得したかのようにそう言うと、シモンは私をベッドに促す

そして、私は促されるまま静かにベッドに潜り込む

 

柔らかい栗色の巻き毛を撫でる

ブルーの瞳、涙に濡れた長いまつげをそっと拭う

私はシモンの柔らかい頬におやすみのキスをする

 

「ママンの匂い…」

そう言うとシモンは私の胸にへばりつき

すぐに深い眠りについた

 

この幼い命を全身全霊で守る母親の気持ち…

 

この子を置いて逝ってしまった母親は

死の直前までこの子を守ろうとしていたに違いない

 

そういえば、父上の隠し子騒動もずいぶん前の話になってしまった

…結局、モーリスは隠し子でも、私の弟でもなかったのだが…

あの子も可愛い子だったが、こんな感情は沸いてはこなかった

 

もし、私に子供がいたら…母性とはこういうものをいうのだろうか

 

女として生きる…

子を産み、育てるという選択は私にはなかった

ただ、王室を守るという任務を全うすること

 

それが私の全てだった

近衛を退任した今でもその気持ちは変わらない

 

でも、ふと沸いたこの複雑な感情に戸惑う

「…女は女なのだな…こんな私でも…」

 

シモンの柔らかい栗毛に唇を寄せる

 

太陽の下でたくさん遊んで日に焼けた男の子の匂いが

おまえが小さかった頃を思い出させる

 

その匂いは私の心を穏やかにし

シモンと共に眠りに落ちる

 

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閉じた瞳の奥に朝日が差し込む

目を覚ました私はシモンを起こさないようにそっとベッドを抜け出す

 

ドレスを脱ぎ身支度を整えダイニングへと向かう

朝食の準備が整い、主人の手が休まったところで

昨夜のシモンの様子を伝える

 

「ありがとうございます

あの子がそんな風に母親を心配していたなんて知りませんでした

シモンの優しさに驚く主人

 

「シモンはちゃんとご主人の生き方を学んでいますね」

「奥様と一緒にすばらしい息子さんを育てられたのですね」

満足そうな主人の顔をみながら私は言う

 

ガチャ

 

ドアが開く

 

「シモン、おはよう。よく眠れたかい?」

 

「うん。おはよう、お姉ちゃん」

 

あいさつもそこそこに興奮気味のシモンが主人に言う

 

「あのね、ぺペール、ママンが僕の部屋に来たんだ」

「夢じゃないよ!僕の頭を撫でながら月の横にあるお星様から来たんだって言ってた

 

「お星様から僕を見てるって

 

私も母上もシモンと主人の様子を静かに見つめる

 

「ママンが言ったよ僕が笑っていれば寂しくないって

「ぺペールの教えてくれることを一生懸命やりなさいって

 

「僕、もう寂しくなんてないよ

興奮でシモンの頬が紅潮し、目が輝く

 

「良かったな、シモン」

「これからもぺペールと一緒にママンを想って生きていこう」

主人はそう言ってシモンを抱きしめた

 

 

「なんとお礼を申し上げてよいか…」

「こうして毎日一緒にいながらシモンの優しさに気付いてやれなかったなんて」

「男ってのは全く…」

主人が頭をかきながら礼を言う

 

「いや、私は何も…」

 

これから先、シモンと主人が

母親を想いながら慎ましくも幸せに暮らしていければそれでよいのだ

 

私は少しだけその手伝いができたこと

のようなものでも人の役に立てることがある…ということが嬉しかった

 

私たちの出発の支度が整うと、主人が大荷物を抱えて宿から出てくる

道中食べる食事やらワインやらぶどうジュースやら

これは…母上と私、そして御者の3人で食べきれる量ではない

 

まして、彼らは重い税金を払い

とても贅沢な暮らしをしているわけではない

 

私は主人の気持ちだけをいただくことにして

必要最小限の食事を馬車に積み込む

 

名残惜しい気持ちを抑えて

シモンに最後の別れを告げる

 

「僕、大きくなったら立派な男になってお姉ちゃんに会いに行くよ」

 

「ああ、楽しみに待っているよ」

私はシモンの頬にさよならのキスをする

花みたいに甘くて優しい匂いを残して…

 

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宿の主人と小さな男の子が

おまえの出発を見送る

 

次の宿へは日の暮れる前に到着できるだろう

 

俺はおまえに気付かれないように馬車のあとを追う

宿に戻る男の子が父親に嬉しそうに話す声がすれ違いざま耳に入る

 

「ぺペール、お姉ちゃんはママンみたいだったよ」

「僕、お姉ちゃんに逢えて良かった

 

…おまえは本当に不思議なくらい子供に懐かれる

 

心に潜ませるおまえの優しさが

純粋な子供には分かるのだろう

 

普段のおまえは

 

青い軍服に身を包み

男性の眼差しを拒む

その瞳は氷のように鋭く

美しい唇からは躊躇ない命令が飛ぶ

 

ひとたび暴動が起これば

襲撃や銃撃にもひるむことなく

銃弾の嵐の中、先頭を切って飛び込んでいくだろう

 

それもこれもおまえの純粋さゆえ…

 

「子供に嘘はつけないな」

 

今は、おまえの優しさに気付いてくれたこの子が

おまえと同じ優しさを持つ大人になってくれることを祈ろう

 

俺に気付いた男の子が微笑む

俺も微笑を返す

 

「楽しい思い出をありがとう。感謝するよ」

心の中で男の子に礼を言う

そして、俺はおまえの乗った馬車を追う

 

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走る馬車の中で母上がふと口を開いた

 

「そういえば、あなたがお父様に怒られたとき」

「裏庭の大きなブナの木の上でよく泣いてましたね」

 

「…そんなことがありましたか?」

 

「えぇ、シモンと一緒に木に登ったあなたを見て思い出しました」

昔を懐かしむような母上の瞳

 

「木の上に登られては、さすがに母もばあやも何もできずに…ふふ」

「あなたをなだめようと木の下をウロウロしたりしていたのですけれど…ふふ」

 

母上…なにがそんなに面白いのか…

 

「もう、どうにもならなくて…ふふ」

「結局、あの子を呼ぶのです」

 

あぁ、思い出した

「…アーモンドをキャラメリゼしたお菓子をボケットから出して…」

おまえの小さい手の上に転がるお菓子

 

「そう、そう

「あの子は、泣いているあなたをいとも簡単に木から降ろして」

「その足でお父様に許しを請うのです」

「何も悪くないあの子と二人で」

 

スルスルと木に登り、泣いている私の横に座ると

ポケットから取り出したアーモンドを私の口に入れてくれる

幼い黒曜石色の瞳

 

だんな様に許しを請うんだ、僕も一緒に行くから」

 

「なぜ叱られるのかはちゃんと自分で考えなければいけないけれど…」

「…でも、君が叱られるのは君を守らなければいけない僕の責任でもあるんだ」

「だから一緒に行こう」

 

そう言って、私の手を取り

父上のところへ一緒に行ってくれた

 

父上にお尻を叩かれるときも一緒

 

でも、おまえがいつも先に叩かれて

おまえが悪いわけではないのにそれを承知で父上も敢えて叩く

 

私の判断が誤ったものであればあるほど

何の責任もない者が痛みを負うという教えだったのだろう

 

おまえは叩かれたお尻を摩りながら

「だって、僕が先だとだんな様が疲れるからね」

「それに僕はどんなときも君を守らなきゃ」

 

って…笑える私の「騎士」だ…

 

「お父様のところへ行った後は、なぜかあなたよりもあの子の方がお尻が痛そうで…ふふ」

「あぁ、この子はあなたを守る”騎士“なのねと思ったものです…ふふ」

 

「…そうです…」

言葉が続かなかった

母上…彼は小さい頃から私を守ってくれるたった一人の”騎士“なのです…

 

馬車の窓を少し開け外の風を入れる

風を感じながらおまえを想う

 

この馬車からは見えないけれど

今も私たちを見守っていてくれている

 

何も求めない

ただ、ただ私を大切に想っていてくれる

たった一人の私だけの”騎士“…

 

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なんとか夕暮れ前に宿に到着した

ここで2日間を過ごす

 

このご時勢、同じ道を使うと何かと物騒だが

帰りは父上の管理する衛兵部隊が勤務交代のついでに随行してくれ

それならば母上も安心して帰路に着けるだろう

 

ロワールはパリからもかなり離れていることもあって

村人も村中も温和な空気が流れているように思われた

 

の宿から近衛隊の寄宿舎の場所は今までの寄宿舎よりも少し離れた場所にある

 

…おまえも少し休め…

 

結局、私のためにおまえとばあやの水入らずで過ごせる時間がなくなったうえに

私が屋敷にいなければ休めるはずだったおまえの休みもなくなった

 

…申し訳ない…心の底から思う

 

おまえの唯一の肉親とも一緒にいられない

おまえの唯一の休暇も結局、休暇ではない

 

おまえの自由を奪っているのは

結局私なのだ

 

おまえにわがまま放題いってきたのも

結局私なのだ

 

その上、この歳になっても甘えっぱなしなのも…

…我ながら、考え物だ…

 

来た道の先にいる見えないおまえを想う

涼やかな風と共に少しずつ闇が訪れようとしていた

 

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気付かれてはいないはずなのに…

 

こちらを見つめるサファイヤ色の瞳から

逃げるように馬を一歩下げる

 

「早く…早く宿に入れ…」

見た目は穏やかに見える村人も今は温和な空気も

暗闇に紛れてはどうなるか予測はつかない

 

隊の寄宿舎いままでの宿の中では一番離れていて

おまえに何かあってもすぐに対応できない

 

俺は急かす気持ちを抑える